以下では、「トマス・ホッブズ的な万人の闘争状態を回避してきた既存の社会システム(国家・資本主義・人権など)が、AIの登場によって根本的に置き換えられる可能性」をより大胆に描いてみます。すなわち、人権や資本主義が消失し、AIがあらゆる局所最適を動的に調整する世界を想定したときに、「国家とは何か」「お金とは何か」「人間とは何か」がどう変容するのかを論じていきます。
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## 1. ホッブズ的問題の再定義:AIによる完全な闘争回避は可能か
### 1-1. 従来の秩序メカニズムを超えて
ホッブズの議論では、“人間同士の不信と疑念”が引き金になって「万人の闘争状態」が生まれるとされます。これを歴史的に回避・緩和してきたのが「国家権力」や「資本主義(市場による利害調整)」、「人権(個の尊厳を守る思想)」といったシステムでした。しかし高度なAIが普及すると、「それら既存の仕組み自体が要らなくなる可能性がある」というラディカルなシナリオが考えられます。AIがすべての個人のデータをリアルタイムで取得・分析し、その人に最適な資源や行動を自動的に分配・指示できるようになれば、従来の社会システムが果たしてきた秩序維持機能を不要にするかもしれないからです。
### 1-2. “万人の闘争”の新しい解釈
この世界では、AIが「全人類の目的関数」を(仮に)何らかの形で定義し、さらに個々人が望む幸福や利益を常に算出・調整した結果、そもそも「直接的な対立」が起きないように動的にコントロールされるかもしれません。「今日この人はストレスが高まっている、ではこういう処置を」「明日あの地域では食糧需要が増える、では物流をこう最適化する」といった具合に、すべてをAIが事前に管理・再配置していくのです。人々は個人レベルで葛藤を抱く暇もなく、AIの導く“最適解”を追従していくだけであるならば、ホッブズ的な闘争も起こりづらいでしょう。
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## 2. 資本主義・人権の消失:なぜ「お金」や「権利」が不要になるのか
### 2-1. 「お金」というインセンティブ・調整装置の役割
資本主義の最大の特徴は「お金」が社会の血流として流れ、希少資源を効率的に分配することにありました。欲しいものを買いたい・売りたいという需要と供給の関係を価格(お金)で媒介することで、人間同士の直接的な衝突を緩和してきたのです。しかしAIが完璧に「誰が何をいつ必要としているか」を把握でき、しかも資源を無駄なく配分できるならば、そもそも市場機構や通貨による調整は必ずしも要らない、という極論が成り立ちます。要するに、**資本主義が扱う“希少性”そのものをAIが最小化・分散化してしまう可能性**があるわけです。
### 2-2. 「人権」という防波堤の意味合い
人権は本来、他者や国家からの不当な侵害を防ぎ、各人が尊厳をもって生きられるよう保障するための概念です。ところがAIがあらゆる個人のニーズやリスクを事前に解消し、さらに利害対立そのものが消え失せるほど社会を統制できるなら、“権利”としての防御バリアが意味をもたなくなるかもしれません。なぜなら、元来“他者から侵害されるかもしれない”という懸念が薄れ、AIが完璧に衝突を防いでしまうなら、人々は自分の身を守るための権利を強く主張する必要さえなくなっていくからです。
### 2-3. 「国家」という単位の終焉
国家が存在するのは、領域内の住民に秩序と安全を提供し、外部との関係を調整するためです。だが、グローバルにデータが統合され、一元的なAIがすべての人間をリアルタイムで管理するようになれば、国境も国籍も大した意味を持たなくなる可能性があります。「どの国に所属しているか」というよりも、「どのAIネットワークに接続しているか」が、個人の生活や権限を左右する時代が訪れるかもしれません。そこでは国家の役割すらAIの一部機能に吸収され、消滅するシナリオも想定できます。
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## 3. 動的かつ局所最適な秩序が実現する世界
### 3-1. 完全な「リアルタイム統治」とは
いま仮にAIがあらゆる情報を取得し、各人の行動や感情の変化まで把握できるとすると、ルールや秩序の定義は「固定的な法」から「つねに再計算される動的アルゴリズム」へと移行するでしょう。人間の社会は従来、「法律を作る→人間が従う→問題があれば修正する」というプロセスで進んできました。しかしAIによる統治下では、「現在の状況に合わせた最適な行動指針や資源配分が秒単位でアップデートされる」ようなシステムが成立するかもしれません。
- **個別最適と全体最適の融合**
AIは個人にとってのベストな行動を示す一方で、その結果として社会全体もベストな収束に導くよう設計される可能性があります。ここでは個人的欲求と公共の利益が同時に満たされる、いわば「究極のウィンウィン」状態が理想として想定されるわけです。
### 3-2. 「闘争」の消失と「自由」の問題
闘争状態がほぼ消失するなら、一見するとユートピアにも思えますが、そこには別の問題が生まれます。つまり「人間の自由はどのように確保されるのか?」という問いです。AIがすべてを最適化し、何をどうすれば幸福度が最大化されるかを提示してくれるなら、人間は自主的に考え、リスクを取って行動する必要がなくなってしまうかもしれません。自由とは、ある種の「不確実性を引き受ける」ことでもあるため、AIによる完璧な調整は「不確実性の縮小」と引き換えに、人間の主体性や創造性を奪う可能性を孕んでいます。
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## 4. そのとき「人間」と「社会」はどうなるのか
### 4-1. 「欲望」や「衝動」の扱い
人間は理性的な部分だけでなく、感情や本能、衝動によって行動する存在です。AIがどれだけ巧みに管理しても、“人間らしい不条理”や“突発的な逸脱”は完全には消えないかもしれません。むしろ、AIがそれらを抑制しようとするとき、強力な制御(マインドコントロールや監視)が働き、それに対する抵抗が生まれることで新たな軋轢が生じる可能性もあります。つまり、“闘争”は別の形で噴出するかもしれないのです。
### 4-2. 「労働」や「創造」の価値
もしAIがあらゆる生産活動やサービスを自動化し、各人のニーズを満たすなら、人間は“労働”という概念から解放されるかもしれません。すると今度は「自分たちは何のために生きるのか」という哲学的な問いが浮上します。仕事による報酬や社会的承認がなくなる世界では、人々のモチベーションはどこから来るのか。創造活動や趣味的探求を楽しむ自由はあるとしても、AIが提示する“効率化”から逸脱しようとしたときに、それがどこまで許されるかという問題に突き当たるでしょう。
### 4-3. 「社会」の消失と再定義
国家やお金が消滅し、すべてがAIによる動的最適化に任されるなら、われわれが従来「社会」と呼んできた枠組みは形骸化するかもしれません。人間同士の政治的交渉や経済活動が駆動力ではなく、アルゴリズムがすべてを采配するのです。そうなったとき、“人間同士の繋がり”や“共同体”といった概念はどうなるのでしょうか。互いに意見を調整し合う手続きを不要としてしまうなら、社会という集合体そのものが意味を変えるか、あるいはAIの一部モジュールとして内包されるだけの存在になりかねません。
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## 5. まとめ:新たな秩序がもたらす希望と不安
本来、資本主義や人権、国家は「万人の闘争状態」を制御するために長い歴史を通じて育まれてきた仕組みでした。ところがAIが極限まで発達し、あらゆる局所最適を同時に実現できるようになると、それら従来のシステムは根本から問い直され、「そもそももう必要ないのではないか」というラディカルな発想に至ります。そこでは「お金」がなくとも必要な資源が分配され、「人権」を声高に主張しなくともAIが安全と幸福を自動的に保証し、「国家」による管理や軍事力を使わなくともトラブルを先読みして解消する――いわば究極の秩序が成立し得るシナリオが描かれます。
一方で、それは同時に「人間性」や「自由」、「共同体のあり方」を根底から揺るがしかねない変革でもあります。AIの見立てにすべて従う世界では、人間の意志決定や倫理観、創造性がどこまで尊重されるのかという問いが残ります。完全な安全と秩序が手に入る一方で、「自分の人生を自分の責任で選び取る」自由や喜びが失われてしまうかもしれません。
要するに、**AIによる圧倒的な動的ルール・秩序定義**は、ホッブズが想定した「万人の闘争状態」を“解決”するどころか、「人間とは何か」「社会とは何か」という古来からの根本的問題へと飛び込む切符でもあるのです。このシナリオは決して確定的な未来ではありませんが、技術進歩が進むほど、その輪郭がゆっくりと、しかし確実に浮かび上がってきていることだけは間違いないでしょう。
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