📖クラウゼヴィッツの戦略思考 P3

はじめに

カール・フォン・クラウゼヴィッツ(1780-1831)は、プロイセンの軍人であり、軍事理論家として知られている。彼の著書『戦争論』は、軍事戦略のみならず、現代の経営戦略にも大きな影響を与えている。本ノートでは、クラウゼヴィッツが提唱する戦略策定の基本スタンスについて詳しく解説する。

クラウゼヴィッツの戦略策定の二大原則

クラウゼヴィッツは、戦略策定において二つの重要な原則を提唱している。

1. 全体的視点の維持

クラウゼヴィッツは、戦略と戦術を明確に区別している。

  • 戦術: 個々の戦闘での勝利を目指す
  • 戦略: 戦争全体の勝利を追求する

戦略策定においては、常に全体的な視点を維持することが不可欠である。これは、個々の戦闘や局面での勝利にとらわれすぎず、最終的な目標達成に向けて全体を俯瞰する能力を意味する。

この考え方は、ビジネス戦略にも適用できる。戦略において、短期的な利益や一時的な成功ではなく、長期的な企業価値の向上や市場での持続的な競争優位性の確立を目指すべきであるという考え方と共通している。

2. シンプルさの追求

クラウゼヴィッツの二つ目の原則は、戦略をあえてシンプルに保つことである。この背景には以下の考えがある:

  1. 実現可能性の重視: 戦略は実行されてこそ価値がある。複雑すぎる戦略は実行が困難になる。
  2. 摩擦の考慮: 戦場(あるいはビジネス環境)では、予期せぬ事態や障害(クラウゼヴィッツはこれを「摩擦」と呼んだ)が必ず発生する。シンプルな戦略ほど、こうした摩擦に対して柔軟に対応できる。

この原則は、戦略サファリで説明されている様々な戦略学派の中でも、特に「コンフィギュレーション学派」の考え方と類似している。コンフィギュレーション学派は、環境の変化に応じて戦略を柔軟に変更することの重要性を強調している。

クラウゼヴィッツの戦略観の現代的解釈

クラウゼヴィッツの戦略策定の基本スタンスは、現代のビジネス環境にも十分に適用可能である。

全体的視点の重要性

現代のビジネス環境は複雑化し、多くの企業が多角化や国際化を進めている。このような状況下で、個々の事業や地域での成功にとらわれすぎると、企業全体の方向性を見失う危険性がある。ビジョナリー・カンパニー3 衰退の五段階で指摘されているように、一時的な成功や過去の栄光にとらわれることは、企業の衰退につながる可能性がある。

クラウゼヴィッツの全体的視点の維持という原則は、以下のような現代的な経営課題に対応する上で重要である:

  1. 事業ポートフォリオの最適化
  2. グローバル戦略の策定
  3. 長期的な企業価値の向上
  4. サステナビリティへの取り組み

シンプルさの追求の意義

ビジネス環境の複雑化に伴い、戦略もまた複雑化する傾向にある。しかし、クラウゼヴィッツが指摘するように、複雑な戦略は実行が困難であり、環境変化への対応も難しくなる。

シンプルな戦略の利点は以下の通りである:

  1. 理解しやすさ: 組織全体で戦略の共有と理解が容易になる。
  2. 実行可能性: 具体的なアクションに落とし込みやすい。
  3. 柔軟性: 環境変化に応じた修正が比較的容易である。
  4. フォーカス: 重要な要素に集中できる。

AI時代のコストリーダーシップ戦略では、AIの活用によって複雑な戦略の実行が可能になる一方で、シンプルな戦略の重要性も指摘されている。AI時代においても、人間の理解と判断力が重要であり、それを支えるのがシンプルな戦略である。

クラウゼヴィッツの戦略観の限界と批判

クラウゼヴィッツの戦略観は多くの示唆に富むものの、いくつかの限界や批判も存在する。

1. 環境の複雑性への対応

現代のビジネス環境は、クラウゼヴィッツの時代よりもはるかに複雑化している。グローバル化、技術革新、規制の変化など、考慮すべき要因が多岐にわたる。このような状況下で、過度にシンプルな戦略では環境の複雑性に対応しきれない可能性がある。

Cynefinフレームワークで示されているように、複雑な環境下では、単純な因果関係に基づく戦略ではなく、パターンの認識と適応的なアプローチが必要となる場合がある。

2. イノベーションと創造性の制限

全体的視点の維持とシンプルさの追求は、時として革新的なアイデアや創造的な解決策の発見を阻害する可能性がある。イノベーションと劣位の関係で論じられているように、イノベーションは既存の枠組みや常識を超えた思考から生まれることがある。

3. 組織の多様性への配慮

クラウゼヴィッツの戦略観は、比較的均質な軍隊組織を前提としている。しかし、現代の企業組織はより多様化しており、異なる文化や価値観を持つ従業員が共存している。このような組織では、過度にシンプルな戦略では各部門や個人のモチベーションを高めることが難しい場合がある。

結論

クラウゼヴィッツの戦略策定の基本スタンス、すなわち全体的視点の維持とシンプルさの追求は、現代のビジネス戦略にも大きな示唆を与えている。複雑化する環境下でも、最終的な目標を見失わず、実行可能なシンプルな戦略を立てることの重要性は変わらない。

一方で、環境の複雑性やイノベーションの必要性、組織の多様性など、クラウゼヴィッツの時代には想定されていなかった要素も考慮する必要がある。戦略サファリで紹介されている様々な戦略学派の知見を統合し、状況に応じて適切なアプローチを選択することが、現代の戦略策定には求められる。

クラウゼヴィッツの教えを基盤としつつ、現代的な要素を取り入れることで、より効果的な戦略策定が可能となるだろう。重要なのは、戦略の本質である「目的の達成」を常に意識し、環境の変化に柔軟に対応できる態勢を整えることである。