#### 徳川体制の経済特徴
徳川体制下の経済は米穀経済に基づいていた。この体制では米を主力貨幣とし、金銀を代用貨幣として位置づけていた。このような経済システムは、軍事力を独占する武士階級が社会的に商業階級を抑制する力学構造に基づき、武士階級の経済基盤は支配地域からの米収穫に依存していた。
#### 経済政策の課題:米価の下落問題
徳川体制を維持する上での最大の課題は、米価の下落をいかにして防ぐかであった。武士階級は、生活必需品やサービスを購入するために米を市場に出して金銭に換える必要があったが、米の値下がりにより同じ量の米から得られる金銭が減少し、結果として藩の財政は累積赤字に悩まされることになった。
#### 米価下落の社会的影響
この米価の下落は、武士階級の窮乏化を引き起こし、階級制度の崩壊や政権全体の倒壊を招く恐れがあった。徳川政権は米価の下落を食い止めるために躍起になったが、抜本的な対策を打ち出すことはできず、ペリー来航による外圧や内乱という外的衝撃により体制は瓦解することになった。これは農業産業が抱える宿命的な弱点、すなわち農産物価格の長期的な下落傾向と産業の衰退に直面した結果である。
[[📖現代経済学の直観的方法]] P123