暗黙知と形式知の非対称性
人間の認知活動において、言語化できることは人間の認知活動全体の10パーセント程度に過ぎないという洞察は、我々の世界理解の根本的な制約を示している。マイケル・ポランニーが提唱した「We can know more than we can tell(私たちは言葉で語れる以上のことを知っている)」という概念は、暗黙知の本質を端的に表現している。
暗黙知は、経験や勘、直感に基づく知識であり、言語知と身体知の違いと近代社会における評価において、言語化できない知識の重要性を明らかにした。SECIモデルにおいて形式知との相互変換プロセスが示されているものの、その変換には本質的な限界がある。熟練職人の技術、優秀な営業担当者の交渉術、経営者の判断力など、これらの暗黙知は完全に形式知化することは困難である。
資本主義における測定可能性への偏重
資本主義は本質的に抽象化とは、情報の圧縮であるプロセスを通じて、複雑な現実を単純化し、測定可能な指標に還元してきた。ビジネスと資本主義は、言語化・数値化可能な領域で「コネコネ」と最適化を図っているが、それは人間の認知全体から見れば限定的な範囲に過ぎない。
市場経済は貨幣という共通尺度を用いて、あらゆる価値を数値化し、比較可能にすることで発展してきた。しかし、計測できるものを計測して、計測できないものを忘れ去ろうとするのは、致命的な失敗の第一歩であるという警告が示すように、測定不可能な価値の軽視が進行している。定量化が難しい物を無理やり定量化すると様々な弊害が発生するのである。
AIの言語化依存とその限界
生成AIの急速な発展は、AIにおける記号接地問題を改めて浮き彫りにしている。大規模言語モデル(LLM)は膨大なテキストデータから学習するが、そのデータはすべて言語化されたものである。AIも言語化できないと使いこなせないという制約は、AIが扱える知識の範囲を大きく制限している。
非言語的情報のデジタル化は技術的に困難であり、痛みの感覚、味覚、触覚などの主観的体験は、言語による近似的な表現しかできない。AIの使いどころは自分の脳を整えることで深まるという洞察は、AIを言語化のツールとして活用しながらも、非言語的領域の処理は人間に委ねられることを示している。
経営者が操る非言語的領域
すごい経営者は、言語化可能な領域を超えた90%以上の非言語的領域を「操っている」。彼らは世界はそもそも虚構で成り立っているため、イメージが重要であることを直感的に理解し、数値データだけでなく、組織の雰囲気、市場の空気感、顧客の潜在的欲求など、言語化困難な情報を総合的に判断している。
人間の脳は複雑性を避ける傾向があるが、優れた経営者は複雑性を単純化せずに、そのまま受け入れる能力を持つ。彼らの意思決定プロセスは、経験が判断力向上に必要な理由:変数の理解と経験の関係が示すように、多様な変数を体感的に理解し、統合する能力に支えられている。
デザインと密教に見る非言語的知識の活用
密教とデザインの構造の類似はシンボルの使用と意味の圧縮にあるという視点は、非言語的知識の伝達方法について示唆を与える。デザイナーはデザインの本質はセンスを形に変換する反復的な試行錯誤のプロセスであることを体現しており、言語化できない美的感覚や直感を、視覚的形態に変換している。
解釈無限な物に対してのアプローチを常日頃行ってるからこそ、デザイナーは想像力が高いのである。この変換プロセスは、物事を言葉以外で認識しないと深い理解につながらないという洞察と一致する。デザイナーの仕事は、非言語的領域から言語的・視覚的領域への橋渡しである。
非言語的知識の価値を再認識する必要性
現代社会は情報と知識の違いを見失いがちである。情報は言語化・デジタル化できるが、知識、特に実践的な知恵は身体性と不可分である。創造的な仕事は最低5回の反復サイクルを経ることで質が向上するように、非言語的な試行錯誤のプロセスこそが、真の価値創造の源泉となる。
資本主義の次なる進化は、測定不可能な価値、言語化できない知識、数値化できない豊かさを、どのように経済システムに組み込むかにかかっている。虚構の意味と人生への影響が示すように、人間は物語と意味の中で生きており、それらの多くは言語の外側に存在している。言語化可能な領域に過度に依存し続ける限り、我々は人間の可能性の大部分を見落とし続けることになる。