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個人最適の罠
多くの人は、自分の担当業務を早く正確にこなすことこそが「スキル」だと信じている。確かに若手のうちは、与えられた領域で専門性を伸ばすことにフォーカスするのは正しい。しかし、この個人最適の延長線上に組織全体の成果があるかというと、そうではない。
リーダーを一度でも経験すると、自分一人のパフォーマンスを上げることよりも、チーム全体の流れを良くすることの方が遥かに大きな成果を生むという事実に気づく。仕事の全体像を俯瞰したとき、本当のボトルネックは自分の作業スピードではなく、前後の工程や他部署との連携部分に潜んでいることが圧倒的に多いからだ。
たとえば、デザイナーがどれだけ高速にUIを仕上げても、その前段の要件定義が曖昧であれば手戻りが発生する。エンジニアがどれだけ効率よくコードを書いても、レビューやQAの工程がボトルネックなら、リリースは遅れる。デザインプロセスは明確なアウトプット単位と役割分担によって効果的に進行するのように、工程間の受け渡しの設計こそが全体のスループットを決定するのである。
「俺は与えられた仕事はやってるんで」の致命的な限界
「自分の持ち場は完遂している」という意識は、一見すると責任感のある態度に見える。しかし組織やプロジェクト全体の成果から見ると、これは部分最適に過ぎない。本人の遂行能力には問題がなくても、周囲を巻き込む力、つまりチームプレイの視点が決定的に欠けている。
この視点の欠如は、評価にも直結する。年齢や経験年数が上がるにつれ、組織が求めるのは個人の作業精度ではなく、「チーム全体の成果を引き上げる力」だ。責任の取捨選択と集中がプロフェッショナルな成果と持続可能性を両立させるでも述べられるように、自分がどこに責任を持つかの範囲を意図的に広げていかなければ、市場価値は頭打ちになる。
リーダー経験を避け続ける人が「俺は与えられた仕事はやってるんで」と言い続ける間に、同世代のリーダー経験者はすでに工程間の最適化やステークホルダーとの調整という、より上位の問題を解決する能力を獲得していく。この差は年齢とともに取り返しがつかなくなる。
AI時代に加速する個人スキルの価値低下
さらに残酷なのが、AI時代における専門スキルの相対的な価値低下である。AI時代において人間には高次の思考と判断力が不可欠となり、これらのスキルが競争力の源泉となるが示す通り、単純なインプット・アウトプットの効率において若手やAIに勝ち続けるのは年を重ねるほど難しくなる。
「自分はこれ一本で食っていく」という覚悟は美しいが、手を動かす一本勝負のままでは食いっぱぐれないための人生戦略としては脆い。人を動かし、全体の流れを最適化するマネジメント能力へと自分の武器を広げていくことは、組織で生き残るための有効な生存戦略となる。過剰に「正解」が供給される時代に価値を持つ要素は、正解を出す速さではなく、正解のない状況で方向性を示す力にシフトしている。
俯瞰する力はリーダー経験でしか育たない
「チーム全体を見る」という視点は、座学や傍観では身につかない。自分がゴールを設定し、誰かに頼むことを前提に考えると、タスク分解はうまくいくように仕事を分解し、進捗を追い、ボトルネックを解消するという一連の経験を通じて初めて体得できるものだ。
メタ思考のような高次の認知能力は、現場の中で「自分の作業」と「全体の流れ」を同時に意識する訓練を重ねることで育つ。だからこそ、リーダー経験は早い段階で一度は通過しておくべきなのである。自分の持ち場だけでなく、チーム全体のスループットに目を向けられるかどうか。この視点の有無が、30代以降のキャリアを決定的に分ける。