断らなくなった
先週、3つの案件が重なった。半年前の自分だったら、どれか一つは断っていたと思う。でも今回は全部引き受けて、全部回った。
自分が速くなったかというと、たぶんそうではない。AIにコンテキストを渡して並列で走らせる、ということが普通になった結果なのだと思う。資料のドラフトをAIに任せている間にFigmaを触って、手を離すとコンセプトのアウトラインが上がっている。そういう日常の中にいる。
以前、AIは使うのではなく「まとう」ものだと書いたことがある。あのときは比喩のつもりだったのだけど、今はもう比喩ではなくなっている。道具は取り出して、使って、しまうものだけど、AIはしまわない。ずっとそこにいて自分の仕事の文脈を持っていて、「さあAIを使おう」と切り替えるような瞬間がどこにもない。「まとう」ようになって何が変わったかというと、速さよりもスコープだった。自分一人でやりきれるかどうかで仕事を選んでいたのが、方向を示して回るかどうかで考えるようになった。チームを持ったときの変化に近いものがある。
考えていることが変わった
作業が減ったかというと、そうでもない。自分の作業とAIに渡す作業の仕分けを、いちいち意識しなくなっただけだ。
そうすると考える時間は増えるのだが、考えていることの中身が前とは変わってきている。「この資料をどう構成しよう」みたいなことはもう考えない。構成はAIが出す。自分が考えるのは「この構成でいいか」「この順番で伝わるか」「そもそもこの資料は必要なのか」ということで、出てきたものに対してどう判断するかに頭を使うようになった。
ただ、判断の回数は確実に増えている。AIが速い分だけドラフトが次々に上がってくるから、そのたびにOKかNGかを出す。一日中何かを判断し続けている感じがあって、疲れ方も前とは違う。手ではなく頭が疲れるようになった。これがいい方向なのかは、正直わからない。
メガネを「使う」とは言わない
報告資料を仕上げて上司に送った後に、ふと考えたことがある。この資料のどこが自分の仕事だったのだろうと。
構成のたたき台はAIで、文章も大半はAIのドラフトを直したものだ。図の配置だけはFigmaで自分がやって、全体の方向と最後に「これでいい」と決めたのは自分。自分の仕事だとは思っているのだけど、手を動かした量だけで言えばAIの方がずっと多い。
メガネをかけている人に「視力に依存してますよね」とは普通言わない。道具が身体に近いほど、依存という言い方はしなくなるものなのだろう。AIとの関係もだんだんそうなってきている気がする。どこからが自分でどこからがAIかということは、もうあまり考えなくなった。
戻れない
AIを止めたら以前の自分に戻るだろうかと考えることがある。たぶん、戻らないと思う。
仕事の量が減るとかそういう話ではなくて、捉え方そのものがもう変わっている。一人で抱えきれる範囲で仕事を選んでいた頃には戻れないし、構成を全部自分の頭で考えていた頃の集中力は少し落ちているだろうと思う。その代わりに、方向を示して走らせるという判断は「まとう」前より速くなったし、任せるために言語化する癖がついて、頭の中にあったものが文章やルールとして少しずつ外に出ている。
デザインだけは今も自分の手でやっている。Figmaを触る時間は手放したくない。あそこを渡してしまったら、何か大事なものが鈍る気がしている。
「まとう」前の自分と今の自分は同じ人間だけど、同じ仕事のやり方はもうしていない。前の方が良かったとは思わないけれど、前には戻れないのだろうと思う。