2026-02-18

デザインされたものと、そうでないものの違いは何か。それは「意図してそれを置いているかどうか」に尽きる。色、形、余白、文字の大きさ、要素の配置——デザインと呼ばれるものにおいて、すべての要素はそこに在る理由を持っている。偶然そこにあるのではなく、意図してそこに置かれているのだ。

「置く」という行為の意味

「置く」という言葉には、選択と決定のニュアンスが含まれている。何かを置くとは、それをそこに存在させることを選んだということだ。そして、それを選んだということは、他の選択肢を退けたということでもある。デザインの現場では、ある要素を画面上のある位置に置くとき、無数の「置かない」という判断が同時に行われている。

この「意図して置く」という行為は、デザインをするとは、意図を持って設計と意匠を行うということであるで論じた設計と意匠の統合を、最も具体的なレベルで実践するものだ。抽象的な設計思想や意匠の方針は、最終的には「何をどこに置くか」という具体的な判断の連続として実現される。

意図の不在が生むもの

意図なく要素が配置されたとき、そこには「なんとなく」が生まれる。なんとなくこの色にした、なんとなくこの位置にした、なんとなくこのサイズにした。このような「なんとなく」の積み重ねは、使い手に微妙な違和感として伝わる。デザインの質向上は「違和感」の探索に基づくという視点から言えば、違和感の多くは意図の不在から生まれている。

たとえば、Webページのボタンが右にあるのか左にあるのか。中央寄せなのか左寄せなのか。これらの判断に「なぜそうしたのか」と問われたとき、明確に答えられるかどうか。答えられるなら、それはデザインされている。答えられないなら、それはまだデザインされていない。

余白もまた「置く」対象である

デザインにおいて意図的に「置く」のは、目に見える要素だけではない。余白——つまり何も置かないこと——もまた、意図的な配置の一つである。むしろ、余白の扱いにこそデザイナーの意図の質が表れると言ってもよい。

要素を詰め込むことは誰にでもできる。しかし、何を置かないかを選ぶには、何が本当に必要かを理解していなければならない。余白は「何もない空間」ではなく、「意図して空けた空間」である。この認識は、デザインにおける調和の重要性とも深く関わっている。調和とは、置かれたものと置かれなかったものとの間に生まれるバランスのことだからだ。

意図の解像度

「意図して置く」と一口に言っても、その意図の解像度にはグラデーションがある。

最も粗い解像度では、「ここにボタンが必要だから置いた」という機能的な意図がある。次の段階では、「ユーザーの視線の流れを考えて、この位置に置いた」という行動設計の意図がある。さらに高い解像度では、「このブランドのトーンに合わせて、このサイズと余白で置いた」という意匠的な意図がある。

優れたデザインでは、一つの要素に対して複数の意図が重層的に存在する。コンセプトは判断基準を提供し、一貫性を生み、価値の源泉となるとあるように、明確なコンセプトがあれば、個々の配置判断はそのコンセプトに照らして自然と解像度が上がっていく。

デザインレビューの本質

この「意図して置いている」という視点は、デザインレビューの本質を照らし出す。レビューとは、各要素が意図を持って置かれているかを確認する行為にほかならない。批評と批判の違いを理解した上で、「なぜそこに置いたのか」と問うことが、建設的なデザインレビューの出発点になる。

「ここ、なんか違う気がする」という感覚は、多くの場合、意図の不在や意図の矛盾を感知しているのだ。レビューする側が問うべきは「好きか嫌いか」ではなく「なぜそこに置いたのか」であり、レビューされる側が答えるべきは「なんとなく」ではなく、その配置に込めた意図である。

日常と非デザインの境界

この定義に照らすと、デザインと非デザインの境界は職業やスキルではなく、意図の有無にある。料理人が皿の上に食材を盛り付けるとき、意図してその位置に置いているなら、それはデザインしている。エンジニアがAPIのレスポンス構造を設計するとき、意図してそのフィールドを配置しているなら、それもデザインしている。

逆に、デザイナーを名乗っていても、「前回もこうだったから」「テンプレートがこうなっていたから」と惰性で要素を配置しているなら、それはデザインしているとは言いがたい。デザインの烏滸がましさとは、他者の体験に意図を持って介入することの重さであるが、その烏滸がましさを引き受ける覚悟がなければ、真の意味でデザインすることはできない。

「意図して置く」ことの実践

日々のデザイン作業で「意図して置く」を実践するには、自分の配置判断に対して常に「なぜ?」と問い続けることが必要だ。これはメタ思考は理解力を鍛えるで述べられているメタ認知の実践でもある。

具体的には、要素を配置するたびに、その判断を一言で説明できるかどうかを確認する。説明できないなら、まだ意図が定まっていない。意図が定まっていないなら、そこで手を止めて考える。この一瞬の立ち止まりが、「なんとなく」のデザインと「意図した」デザインを分ける。

デザインとは、意図してそれを置いていること。シンプルだが、この一文にデザインの本質が凝縮されている。