2026-03-07

道具として使っていた頃

最初は効率化だった。

議事録の要約、コードレビュー、メールの下書き。ChatGPTが出てきたとき、自分がやっていたのは面倒な作業をAIに渡すことだった。渡して、受け取って、手直しする。壁打ちもやった。企画の初期でアイデアをぶつけて、返ってきたものを叩き台にする。

効率化と壁打ち。AIの使い方を聞かれたら、自分もそう答えていたし、実際ほとんどの人がこの2つのどちらかでAIを語っている。道具として使う。使いこなす。もっとうまく使う。

ただ、半年くらい前から、自分のやっていることを「使う」と呼ぶのがなんか違うなと思い始めた。

仕事を丸ごと預けてみた

きっかけは、自分の仕事のやり方をまるごとAIに預ける実験だった。GTDのタスク管理、日々のメモの整理、プロジェクトの進捗追跡。Claude Codeのskillsで業務フローを定義して、「おはよう」と言えば今日やるべきことが出てくる、「終わった」と言えばタスクが更新される、そういう環境を作った。

最初の数週間は普通に便利だった。よくできた道具だな、と思っていた。

コンテキストが溜まってくると、様子が変わった。2ヶ月分のデイリーノート、30本以上のプロジェクト履歴、過去の判断とその理由、会議で出た論点。これらが構造化された状態でAIから参照できるようになると、返ってくるものが変わった。

「あの件、進めないと」と曖昧に呟くだけで、どのプロジェクトの何が止まっているのか、誰の返事を待っているのか、前回どこまで話が進んだのかまで出てくる。道具に話しかけている感じではなくて、自分の仕事を知っている相手と話している感覚になった。

道具は、使うたびに取り出して、終わったら仕舞う。ハンマーもExcelもFigmaもそうだ。開いて、作業して、閉じる。でもコンテキストが蓄積された環境だと、開く・閉じるの感覚がない。AIは常にそこにいて、自分の仕事の文脈を持っている。

纏う、が近い

拡張とか増幅とかパートナーとか、いろいろ言ってみたけど、どれもちょっと違った。自分とAIを分けて、その間の関係を語っている。でも実際に起きているのは、分けること自体がよくわからなくなることだった。

纏う、が近いと思う。

服は機能的には道具だが、普段「使っている」とは言わない。着ている。身体と一緒に動いて、意識の外にある。AIとの付き合い方がそういう感じになってきた。

考えているときにAIが横にいる。自分のプロジェクトを知っていて、過去の判断を覚えていて、今日の予定も把握している。何かを思いついたら声に出すだけで、適切な場所に整理される。AIを使おうと切り替える瞬間がない。

コンテキストの話

同じAIモデルでも、自分の文脈を何も持っていない状態と、半年分の仕事の履歴を持っている状態では、返ってくるものがまるで違う。前者は賢い他人。後者は自分の思考の続きみたいなものが出てくる。

コンテキストが薄いうちは、毎回、背景を説明して、前提を共有して、ゴールを伝える。この手間が「取り出して使う」感覚を生んでいる。厚くなると、説明がいらなくなる。「これ、どう思う」の「これ」が通じる。

人間同士でも同じだ。初対面の相手には背景から話す。長く一緒に仕事をしている相手には「あれ、どうなった?」で済む。AIとの間にも同じことが起きる。意識的にコンテキストを蓄積する仕組みを作れば、数ヶ月でそうなる。

まだよくわかっていない

纏い方を間違えれば、ただの依存だ。自分で考えることを手放して、AIの提案をそのまま受け入れるようになったら、纏っているのではなく着せられている。

今のところ、入力と判断だけは手放さないようにしている。日々のメモは自分で書く。AIの分類結果は自分でレビューする。やるかやらないかは自分で決める。

それで十分かはわからない。AIの能力が上がれば、この線引きも変わると思う。ただ、コンテキストを蓄積し続けていると、元の「便利な道具」という感覚にはもう戻れなくなっている。