2026-03-29

あるミュージシャンの言葉とデザインへの転用

あるミュージシャンがインタビューで、音楽について語っていた。「音楽が実質的に物事を成功させたり、経済を動かしたりはできないと思っている。ただ、発想や捉え方を変えることはできるんじゃないかなって。曲を聴いたことで、その人の発想が変化して、何かが動き出す。そういう作品を作りたいといつも思ってます」。

この言葉を聞いて、デザインもまったく同じだと思った。

デザインが直接的に売上を生むかどうかは、正直なところ証明が難しい。ボタンの色を変えてコンバージョンが何パーセント上がった、という話はある。でもそれはデザインの表層であって、本質ではない。デザインが本当にやっていることは、人の認知を書き換えることだ。「なんか使いにくいな」が「あ、こうすればいいのか」に変わる。「よくわからない」が「なるほど、こういうことか」に変わる。その認知の変化が行動を変え、行動が結果を変える。デザインは結果を直接つくるのではなく、結果に至る人の動きを変えている。

経済的価値と認知的価値のズレ

デザインの価値を経済的指標で測ろうとすると、いつもどこかで無理が生じる。製品価値の創出においてデザインはビジネスモデルとテクノロジーと同等の重要性を持つと頭では理解していても、では具体的にデザインがいくら分の利益を生んだのかと問われると、答えに詰まる。テクノロジーの貢献は機能として可視化しやすいし、ビジネスモデルの貢献は収益構造として説明できる。デザインだけが、貢献の仕方が間接的すぎて数字に落としにくい。

そのミュージシャンの言葉を借りれば、それは当然のことだ。音楽が経済を動かせないのと同じ理由で、デザインも経済を直接は動かせない。動かしているのは人の認知であり、認知から生まれる行動であり、行動の積み重ねとしての結果だ。因果の連鎖が長すぎて、始点と終点を線で結ぶことが構造的にできない。

これは組織におけるデザイナーの本質的役割は行動障壁の除去と価値創造の触媒機能にあるで書いた「触媒」の話とも通じる。触媒は化学反応を促進するが、反応の成果物そのものには含まれない。デザインも同じで、成果が生まれるプロセスには不可欠だが、成果そのものの中にデザインの名前は残らない。

「発想が変わる」ことの過小評価

そのミュージシャンが面白いのは、「発想や捉え方を変えることはできる」と言い切っているところだ。「できるかもしれない」ではなく「できる」。そしてそれを、経済を動かすことよりも小さいこととして語っていない。むしろそれこそが音楽にできることだと、肯定的に捉えている。

デザインの文脈でも同じ態度が必要だと思う。認知を変えることの価値を、経済的成果より「小さい」とか「弱い」と位置づけてしまうと、デザインの貢献はいつまでも傍流に見える。でも実際には、認知の変化こそがすべての起点になっている。ユーザーがプロダクトの使い方を理解する。チームメンバーが課題の優先順位を把握する。経営者がデータの意味を読み取る。これらはすべて認知の変化であり、デザインという行為は意匠と設計で人の行動に補助線を引くことであるで言う「補助線」がなければ起きなかったかもしれない変化だ。

絵本に目的はなく、心が動くこと自体が子どもの世界の起点であるで考えたこととも重なる。絵本は子どもの心を動かすが、それが何の役に立つのかを問われても答えようがない。でも心が動いたという事実そのものが、その子の世界を広げている。音楽もデザインも、心や認知に働きかけるものはすべて同じ構造を持っている。直接的な成果は示せない。でも、それがなければ成果に至る道筋そのものが存在しなかった。

デザインの価値を語るときの姿勢

デザイナーとして、デザインの価値をどう伝えるかはずっと悩ましい問題だ。ROIで語ろうとすると嘘くさくなるし、「大事です」と言うだけでは説得力がない。あのインタビューの言い方には、そのヒントがあるように思う。

「経済を動かせない」ことを弱点として弁解しない。そこに卑屈さがない。「でも発想を変えることはできる」と、自分の仕事が届く範囲を正確に見定めて、その範囲の中での価値を堂々と語っている。

デザインも同じように語ればいい。「デザインだけで売上は上がりません。でも、ユーザーが迷わなくなります。チームの意思決定が早くなります。顧客が自分の課題を自覚できるようになります」。その先で経済的な成果が生まれるかどうかは、デザインだけの問題ではない。でもデザインがなければ、そもそもその先に進めなかった。

課題解決系と価値提案系の違いは創造的ジャンプの度合いと制約下での選択肢に表れるで整理した課題解決と価値提案の区分にしても、どちらもデザインが人の認知に介入することで成立している。課題解決は「問題の所在がわかる」という認知の変化を起こし、価値提案は「こんなことができるのか」という認知の変化を起こす。経済的成果はその認知変化の下流にある。

音楽とデザインの相同性

あの言葉がデザインにそのまま当てはまるのは、音楽とデザインが同じ力学で動いているからだ。どちらも直接的に何かを「する」わけではない。音楽は物を作らないし、デザインはコードを書かない。どちらも人間の内面に作用して、その人が次にとる行動を変える。

この「内面への作用」は測定が困難で、だから経済的な指標とは相性が悪い。でも、測定できないことと存在しないことは違う。音楽を聴いて気持ちが変わった経験は誰にでもある。よくデザインされたプロダクトを使って「あ、わかった」と感じた経験も同じだ。その瞬間に認知が書き換わっている。

良い事業づくりには、良いビジネスと良い仕組み、そして良い「デザイン」が必要という認識が広がってきているのは、この「認知を変える力」の重要性が実感として共有され始めているからだろう。デザインが何をしているのか、まだうまく説明できないけれど、デザインがないと何かがうまくいかないことは多くの人が感じ始めている。その「何か」の正体が、認知の書き換えなのだと思う。