複雑性と制御の逆説
Cynefinフレームワークが示すように、問題は「単純」「煩雑」「複雑」「混沌」の4つの領域に分類できる。単純な問題には標準手順が、煩雑な問題には専門家の分析が有効である。しかし「複雑」な領域では、因果関係が不明確で、解決策は事前に知り得ない。試行錯誤と適応を通じてしか答えは見つからない。
組織が直面する多くの問題は、この「複雑」領域に属する。市場環境、顧客ニーズ、技術動向、競合状況——これらの変数は非線形に相互作用し、状況の組み合わせは指数関数的に増加する。にもかかわらず、多くの組織は「煩雑」領域向けのアプローチ——すなわち詳細な手順書、分厚いマニュアル、網羅的なフローチャート——で複雑性に対処しようとする。
📖失敗の本質が分析した日本軍の敗因は、まさにこの問題を象徴している。特定の戦略原型に過剰適応し、学習を棄却し、自己革新能力を失った。環境が変化しても、過去に成功したパターンを繰り返し適用し続けた。挙動を規定するルールは精緻化されたが、そのルール自体が時代遅れになったとき、組織は対応できなかった。
挙動規定の構造的限界
挙動規定アプローチの本質的問題は、それが「既知の状況への最適化」であるという点にある。過去のパターンを分析し、それに対する正解を定義する。「この状況ではこうする」「あの条件ではああする」と条件分岐を網羅しようとする。
しかし二項対立は意思決定の圧縮であり、背後にある前提の違いを掘り下げることが生産的な議論の鍵となるで論じたように、二項対立——そして多項対立も——は「本当は多次元なのに、一軸に潰してしまう」という問題を抱える。挙動規定も同様である。複雑な状況を有限のルールで記述しようとする試みは、必然的に次元を落とし、情報を損失させる。
ルールが増えれば増えるほど、ルール同士の矛盾が生じる。「品質を最優先」と「納期を守れ」が同時に規定されていたとき、どちらを優先すべきか。さらにルールを追加して条件を明確化すると、今度はルールの複雑さ自体が理解を妨げる。官僚制の病理はまさにここにある。
群衆知が示す分散システムの原理
羊の群れは、中央の指揮者なしに複雑な地形を移動し、捕食者から逃れ、餌場を見つける。個々の羊が従う原則は極めてシンプルである。「近くの仲間と同じ方向に動く」「障害物や危険から離れる」「前方に空間があれば進む」。
これらの単純な原則から、群れ全体として高度に適応的な振る舞いが創発する。デザインやクリエイティブな行為は、その創発的性質ゆえに分業が困難であり、本質的に個人的プロセスであるで論じたように、創発とは部分の単純な総和を超えた、全体としての秩序が自然発生的に生まれる現象である。
群知能の核心は「局所的な情報に基づく分散的な判断が、全体として合理的な結果を生む」という点にある。各エージェントは全体像を把握していない。しかし、共有された原則に従うことで、全体としての整合性が保たれる。情報伝達のボトルネックがなく、局所的な状況変化に即座に対応できる。中央集権的な指揮系統では、この速度と柔軟性は実現できない。
戦略論における計画と創発
戦略計画学派と創発戦略学派についてが整理するように、戦略形成には二つの対照的なアプローチがある。
戦略計画学派は、SWOT分析などの分析ツールを用いて市場機会を把握し、トップダウンで戦略を策定する。1960年代の主流であり、環境が比較的安定していた時代には有効だった。
一方、創発戦略学派は、組織内の日々の経験や学習を通じて自然発生的に形成される戦略を重視する。ボトムアップで発生し、従業員のイニシアティブや外部環境との相互作用が戦略形成の重要な要素となる。1970年代以降、環境変化が加速する中で注目されるようになった。
現代の多くの企業は、これら二つの要素を組み合わせている。しかし重要なのは、「計画」と「創発」のどちらが優れているかではなく、状況に応じて適切なバランスを取ることである。Cynefinフレームワークの「複雑」領域では、創発的アプローチがより有効である。
デザインシステムとデザインコンテキストの対比
この原則 vs 挙動の構図は、デザインの領域で鮮明に現れている。
AI時代のデザインはシステム管理からコンテキスト管理へと移行するで詳述したように、従来のデザインシステムは「挙動規定」のアプローチである。ボタンの色、余白のサイズ、タイポグラフィのルールを詳細に定義する。「この状況ではこのコンポーネントを使う」と具体的な挙動を指定する。一貫性は担保されるが、新しいユースケースや想定外の状況には対応できない。
| デザインシステム(挙動規定) | デザインコンテキスト(原則共有) |
|---|---|
| 固定値(8px, 16px等) | 関係性の記述(親要素との比率) |
| コンポーネント単位の定義 | 文脈単位の判断基準 |
| 一貫性の担保 | 調和の担保 |
| ルールに従って適用 | 原則を解釈して判断 |
デザインコンテキストは「なぜそうするのか」という原則を共有する。「高さが20px未満の要素では角丸を50%にすべき」という判断基準を記述しておけば、具体的な数値は状況に応じて導出できる。コンセプトは判断基準を提供し、一貫性を生み、価値の源泉となるが示すように、原則(コンセプト)は個別の判断を一貫させる上位の基準として機能する。
原則が機能するための四条件
原則ベースのアプローチは万能ではない。機能するためには以下の条件が必要である。
1. 原則のシンプルさ
原則は一文で表現できるほどシンプルでなければならない。「この場合はAだが、あの場合はBで、ただしCの条件下ではD」という複雑な条件分岐が入った瞬間、それは原則ではなくルールになる。羊が従う原則が「近くの仲間についていく」程度のシンプルさであるように、人間が無意識に適用できるレベルまで圧縮されている必要がある。
2. 原則の内在化
デザインやクリエイティブな行為は、その創発的性質ゆえに分業が困難であり、本質的に個人的プロセスであるで論じたように、クリエイティブな判断には「言語化しづらい直感や感覚的な判断」が多く含まれる。原則も同様で、マニュアルに書いてあるだけでは機能しない。メンバーがその原則を深く理解し、無意識のうちに判断基準として使えるレベルまで浸透している必要がある。
3. フィードバックループの存在
自律的な判断が正しかったのか間違っていたのか、結果が見える仕組みが必要である。フィードバックがなければ、原則の解釈がずれていっても修正できない。羊の群れでは、危険に近づけば捕食されるという即座のフィードバックがある。組織においても、判断の結果が可視化され、学習につながる仕組みが不可欠である。
4. 失敗許容の文化
自律的な判断には、必然的に失敗が伴う。📖失敗の本質が示すように、失敗から学習できない組織は自己革新能力を失う。挙動規定の世界では「ルール通りにやったのだから自分は悪くない」と責任を外部化できる。原則ベースの世界では判断の責任を負う。失敗を罰する文化では、誰も自律的に判断しようとしなくなり、原則は形骸化する。
制御幻想からの脱却
組織が挙動規定に傾倒する背景には「制御幻想」がある。詳細なルールを定めれば組織をコントロールできる、予測可能な結果を得られるという幻想である。
しかしCynefinフレームワークが示すように、「複雑」領域において制御しようとすればするほど、システムは脆くなる。想定外の事態に対処する柔軟性が失われ、ルールの隙間で問題が発生し、ルール同士が矛盾して身動きが取れなくなる。
原則ベースのアプローチは、ある種の「制御の放棄」を求める。個々の判断をコントロールしようとせず、判断の基準となる原則だけを共有し、あとは任せる。二項対立は意思決定の圧縮であり、背後にある前提の違いを掘り下げることが生産的な議論の鍵となるで論じた「中央集権/分権」の二項対立において、複雑な環境では分権側——すなわち原則に基づく自律的判断——に重心を置くべきである。
組織は機械ではなく生態系である
組織を機械としてモデル化すれば、部品(人)の挙動を規定し、全体の動作を設計できるはずだと考える。しかし組織は機械より生態系に近い。
生態系を「管理」しようとすると破壊してしまう。できるのは、健全な生態系が維持される条件を整えることだけである。原則の共有は、その条件整備に相当する。どんな判断が生まれ、どう行動するかは、コントロールできないし、する必要もない。
戦略計画学派と創発戦略学派についてが示す「計画性と柔軟性を両立させる」というハイブリッドアプローチは、まさにこの生態系的な組織観に立脚している。大きな方向性は計画的に定めつつ、具体的な判断は原則に基づく創発に委ねる。
組織や仕事は仕組みではなく哲学で動かした方が良い場合があるで論じたように、複雑性が増す現代において、組織の生存戦略は「より精緻な制御」ではなく「より良い原則の共有」へと移行すべきである。羊の群れが示すように、シンプルな原則に従う自律的なエージェントの集合は、中央集権的な指揮系統より、はるかに複雑な環境に適応できる。