📖なぜ人は締め切りを守れないのか P234-235
生産性概念の偏り
「生産性」という言葉は、その字義通り「生産」のみを価値とする方向に傾きやすい。しかし、実際の人間の活動において価値あるものは生産だけではない。何かをケアする時間、保守する時間、運用する時間——これらは生産活動と同等か、それ以上に重要な意味を持つ。
この偏りは数値目標の達成は非数値的な要素の損失を招くという構造と通底している。生産性を数値で測定しようとすると、測定可能なアウトプットのみが評価され、測定困難なケア労働や関係性維持の時間は「非生産的」として切り捨てられる。KPIは結果であり出発点ではないという視点に立てば、生産性指標もまた手段であり、人間の幸福や社会の持続可能性という本来の目的を見失わせる危険性を孕んでいる。
時間満足度とウェルビーイング
時間満足度の研究によれば、労働時間の長さと幸福感は必ずしも相関しない。むしろ「時間自主性」——自分の時間をどれだけ主体的にコントロールできるか——が、ウェルビーイングを左右する重要な要素となる。ある人は一日の大半を仕事に費やしていても、その時間を「自分が選んだ」と感じていれば時間満足度は高くなる。逆に、拘束時間が短くても、時間の使い方を自分で決められないと感じれば満足度は低下する。
ドーパミンの分泌は幸せの唯一の鍵ではないという知見は、この文脈でも示唆的である。生産的な成果を上げたときの達成感(ドーパミン的快楽)だけでなく、ケアや関係性維持から得られる充実感(セロトニン的幸福)もまた、人間のウェルビーイングを構成する不可欠な要素である。ケア時間を「非生産的」として排除する思考は、この多面的な幸福の構造を無視し、時間自主性を損なう方向に作用する。
ケア労働の不可視化と構造的不平等
家族やコミュニティへのケア時間は、特に女性や介護者が担う無償労働として不可視化されてきた。家事、育児、料理、掃除、介護——これらの時間は経済指標に現れないが、社会の基盤を支えている。AIの進展により既存の社会経済契約は根本的な再構築を必要としている現代において、このケア労働の価値評価は喫緊の課題となっている。
生産性を追求する社会において、ケア労働の価値が過小評価されることは、時間の不平等構造を再生産し続ける。「価値のない時間」とされがちなケア時間こそ、人間の尊厳や関係性を維持する本質的な活動である。家庭型サイエンティストは仕事と家庭のバランスを重視し、高い生産性を発揮するという研究が示すように、ケアと生産は対立するものではなく、むしろケアの時間を確保することが持続的な生産性の源泉となる。
焦点となる機会としてのケア時間
焦点となる機会は唯一無二性と記憶への意志によって人生の意義深さを生み出すという概念に照らすと、ケア時間の本質的価値がより明確になる。家族との夕食、子どもとの遊び、親の介護——これらは「この場所、この人、この時間でなければならない」という代替不可能性を持つ。生産活動が多くの場合代替可能であるのに対し、ケアの時間は唯一無二の関係性の中でのみ成立する。
現代のデジタル環境では、あらゆる作業が効率化・自動化の対象となる。しかし、人間同士のケアは本質的に効率化できない領域である。むしろ、Focus Workは環境整備と心身の調整による集中状態の確立が成功の鍵であるように、ケアの時間を意識的に確保し、その時間に集中することが重要となる。
保守・運用という「見えない生産性」
ソフトウェア開発の世界では、新規開発よりも保守・運用に多くの時間とリソースが費やされる。しかし、新機能のリリースは華々しく報じられる一方、システムを安定稼働させ続ける保守作業は目立たない。この構造は、社会全体における「生産」と「維持」の価値評価の偏りを象徴している。
GTDのコンテキスト概念を活用したインプットとアウトプットの分離は創造的プロセスを効率化するという方法論は、創造的アウトプットを生み出すために「整理」や「維持」の時間が不可欠であることを示している。同様に、社会においても、目に見える成果を生み出す活動の背後には、膨大な保守・維持・ケアの時間が存在する。この見えない時間なしに、いかなる生産も持続しない。
生産性概念の再定義に向けて
真の意味での「生産性」を考えるならば、それは単なるアウトプットの効率ではなく、人間の生活全体を持続可能にする営みを含むべきである。日々のMITを明確にすることは、生産性向上だけでなく幸福感と気力の増進にも直結するという原則は、「最も重要なこと」が必ずしも測定可能な成果物ではないことを示唆している。
30代後半はキャリアや人生の大きな節目であり、アイデンティティを再編成することが重要であるという人生の転換点において、多くの人がケアと生産のバランスに直面する。子育てや介護の責任が増す一方で、キャリアの成長も求められる。この葛藤は、生産性概念の偏りがもたらす構造的な問題である。
生産性を高めることと、ケアの時間を確保することは、二項対立ではない。むしろ、ケアの時間を正当に評価し、確保することこそが、持続可能な形で生産性を発揮するための前提条件となる。食いっぱぐれないための人生戦略を考える上でも、短期的な生産性の最大化ではなく、長期的な持続可能性——そしてそれを支えるケアや保守の時間——を視野に入れることが不可欠である。