ゴールとは未来の状態を言語化したもの
ゴール設定を分解すると、「未来のある時点で自分がどうなっているかを描写する」という行為に行き着く。ゴールを設定できるということは、未来が見えている。少なくとも、未来の一断面を高い解像度で想像できている。
逆に言えば、ゴールが設定できないときは未来が見えていない。何をどこへ持っていくべきかの像がぼやけている。ナチュラルプランニングモデルのステップ2「結果をイメージする」が計画の要に位置するのは、この理由による。結果のイメージなき計画は、地図なき航海と変わらない。
コンテキスト収集が想像の解像度を上げる
では、どうすれば未来を予知できるのか。超能力の話ではない。やるべきことはコンテキストを徹底的に集めることだ。
コンテキストの質的向上と蒸留プロセスが知識創造と意思決定の効率性を決定するが示すように、情報の量を増やすだけでは足りない。関連性の高い情報を選び、構造化し、意味づけする。ユーザーの行動、市場の動向、技術のトレンド、チームの能力、過去の失敗と成功。これらのコンテキストが揃うほど、未来の像は鮮明になる。
仮説を立てるには想像力と直感が必要であるという知見とも合致する。データは過去の記録であって、未来を直接教えてはくれない。しかし豊富なコンテキストの上に想像力を働かせることで、「こうなるのではないか」という仮説が立てられる。コンテキストは想像力の燃料であり、燃料が多いほどエンジンは高出力で回る。
解像度という比喩の正確さ
「解像度」は比喩にとどまらない。低解像度の画像では何が映っているか判別できないが、ピクセル数を増やしていくと突然「あ、これは人の顔だ」と認識できる瞬間がくる。コンテキスト収集も同じ構造を持っている。断片的な情報しかないとき、未来の像はぼやけたノイズにすぎない。しかしコンテキストのピクセルが一定量を超えると、未来の輪郭が浮かび上がる。
AIアウトプットの批判的検討が思考の解像度を向上させる本質的メカニズムであるが説くように、解像度の向上は情報の追加だけでは起きない。既存の理解に対する批判的検討と再構成を通じて起こる。集めたコンテキストを眺めるだけでなく、「本当にそうか?」「別の解釈はないか?」と問い続けることで、解像度は質的に変わる。
エウレカの瞬間と論理では超えられない跳躍
コンテキストを集め、想像の解像度を上げていく。このプロセスは連続的で漸進的だ。しかしゴール設定の最終段階には、論理の積み上げでは到達できない非連続な跳躍がある。エウレカの瞬間である。
アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせであるように、エウレカは無から生まれない。集めたコンテキストという既存の要素が、ある瞬間に新しいパターンで結びつく。それがゴールの形をとって現れる。情報の統合と合成は新たな知識と洞察を生み出すプロセスの、最も劇的な形態がエウレカだと言える。
エウレカが起きるかどうかは完全にはコントロールできない。しかし確率を高めることはできる。コンテキストを豊富に集め、異なる角度から検討し、ときに思考を手放してぼんやりする。思考の可視化は創造的問題解決の触媒となり、行き詰まりを突破する鍵であるように、頭の中のモヤモヤを外に出して眺めることもエウレカの触媒になる。
ゴールが見えないときにやること
ゴールが設定できないとき、「気合いで決める」のは筋が悪い。見えないのはコンテキスト不足のサインであり、やるべきことはさらなる情報収集と整理だ。知識を「文脈に置く」ことは情報の価値を最大化し、深い理解と創造的な洞察を促進するのだから、集めた情報をバラバラに持つのではなく、文脈の中に配置して関係性を見出す。
イシューの見極めが問題解決と価値創造の出発点となるように、「何が本当の問いなのか」を見極めるには十分な材料と、それを咀嚼する時間が要る。急いでゴールを決めるよりも、「まだ見えていない」ことを受け入れてコンテキストの解像度を上げ続ける姿勢のほうが、結果的に良いゴールにたどり着く。
グロースのゴールは検証できる問いが立っている状態であるも同じことを言っている。最初から正解が見えている必要はない。コンテキストを集めて「こういうことではないか?」という問いが立てば、それが次のゴールになる。ゴールは一発で決まるものではなく、コンテキスト収集とエウレカの反復で精錬されていく。
未来予知は超能力ではなく、技術と態度の問題だ。集めて、上げて、待つ。このプロセスを信頼できるかどうかが分かれ目になる。