デザインが辿ったコモディティ化の経路
コモディティ化とは、かつて高い付加価値を持っていたものが、市場の成熟と技術の普及によって一般化し、差別化が困難になる現象である。そしてデザインは、まさにこの経路を辿りつつある。
かつてデザインは、専門的な訓練を受けた者だけがアクセスできる特殊な技能であった。高価な専用ソフトウェア、印刷の知識、色彩理論の体系的な理解――これらがデザイナーという職能の参入障壁を形成していた。しかし、この障壁は段階的に崩壊してきた。
まず道具のコモディティ化が起こった。Adobe製品の一般化、Figmaのようなブラウザベースのツールの普及、Canvaに代表されるノーコードデザインツールの台頭。これにより、デザインツールへのアクセスコストは劇的に低下した。
次に手法のコモディティ化が進んだ。デザイン思考はビジネススクールの必修科目となり、ダブルダイアモンドやユーザーインタビューの手法は、エンジニアやビジネス職にも広く知られるようになった。デザインはもはやデザイナーだけのものではないという認識は、もはや業界の常識となっている。
そして現在、アウトプットのコモディティ化が進行している。生成AIの登場により、「それなりに整ったUI」「そこそこ美しいビジュアル」を出力するコストは限りなくゼロに近づいている。AI時代のクリエイティブワークは生成物からの削り出しプロセスへと変容しているという指摘は、まさにこのアウトプットのコモディティ化を前提とした新しいワークフローの提案である。
「80点のデザイン」が誰でも作れる時代
コモディティ化の本質は、技術革新の本質は問題解決と行動変容の促進にあり、技術のための技術ではないという原則と表裏一体にある。技術が普及するほど、その技術がもたらす問題解決能力は標準化される。デザインにおいても同様で、「ユーザーが迷わないUI」「情報が整理されたレイアウト」「ブランドに沿った配色」といった、いわば80点レベルのデザインは、もはや専門家でなくても到達可能になった。
デザインシステムの普及がこれを象徴している。Material Design、Apple HIG、各社のデザインシステムは、「正解のパターン」を体系化し、誰でもアクセスできる形で公開している。過剰に「正解」が供給される時代に価値を持つ要素が示すように、正解が過剰に供給される環境では、正解を出す能力自体の市場価値は低下する。
生成AIのクリエイティブは過剰な書き込みによる小さな嘘の積み重ねでプロの解像度に届かないという指摘は正しい。しかし問題は、多くの場面で「プロの解像度」が要求されないということだ。80点で十分なシーンが圧倒的に多い。これが、デザインのコモディティ化が急速に進む根本的な理由である。
コモディティ化しないもの
では、デザインのすべてがコモディティ化するのか。答えは否である。コモディティ化するのは「設計」の領域、すなわち論理的に正解を導出できる部分であり、「意匠」の領域、すなわち感性と文脈に基づく判断は本質的にコモディティ化しにくい。
AIがデザインのクオリティを向上できない本質的理由は人間の感性と経験の不可代替性にあるのは、デザインの質を決定するのが論理ではなく文脈の読解だからである。デザインの質向上は「違和感」の探索に基づくという原則は、コモディティ化した80点のデザインと、それを超える領域との境界線を明確に示している。「違和感」を検知し、それを解消する方向へデザインを導く能力は、パターンマッチングでは到達できない。
AIはパターンマッチングで可能性を生成し、人間はコンテキストから意味を創造し削り出すという構図は、デザインのコモディティ化の境界線そのものを描写している。パターンに基づく設計はコモディティ化する。しかし、文脈から意味を創造する行為は、一つとして同じものがないがゆえにコモディティ化しない。
デザイナーの生存戦略としてのポジション転換
コモディティ化した市場で生き残るには、価格と性能を超えてブランド価値が競争優位を決定する時代への移行が示唆するように、コモディティ化されない価値の源泉にポジションを移す必要がある。
デザイナーにとってのそれは、AI時代のデザイナーの価値は道具の操作力ではなく理想の解像度にあるという認識への転換である。ツールを操作する能力、パターンを適用する能力は、まさにコモディティ化の対象となる部分だ。一方、「何をどう作るべきか」という理想の解像度を持ち、それに向かってアウトプットを磨き上げる能力は、個人の経験と感性の蓄積に依存するため、容易にはコモディティ化しない。
創作コストが低下する時代では日常的なインプットの蓄積が創造の質を決定するという示唆は重要である。デザインの「作る」部分のコストが下がれば下がるほど、「何を作るか」「なぜ作るか」を判断する力の相対的価値が上昇する。手段の選択肢が無限に広がった時代では「何をしたいか」だけが意味を持つのである。
デザイナーではなくクリエイターになることで、AI時代においても代替不可能な創造的価値を提供し続ける存在となることが可能となるという方向性は、まさにコモディティ化への応答である。「デザイナー」がコモディティ化した能力の保持者を指すなら、その名称にしがみつく理由はない。コモディティ化の外側にある創造的価値を提供する「クリエイター」へとアイデンティティを拡張することが、実質的な生存戦略となる。
デザインのコモディティ化がもたらす逆説
興味深いことに、デザインのコモディティ化は、物質的豊かさが達成された現代において、希少価値は「モノ」から「物語」と「世界観」へと移行しているという大きな潮流と合流する。デザインの「作り方」がコモディティ化するほど、デザインに込められた「意味」や「物語」の希少性が際立つ。
80点のデザインが溢れかえる世界では、デザインの本質はセンスを形に変換する反復的な試行錯誤のプロセスであることを体得しているデザイナーの価値は、むしろ高まる。なぜなら、80点から100点への道のりは、0点から80点への道のりとは質的にまったく異なるからだ。前者は文脈の深い理解と、言語化しにくい感性の判断の積み重ねであり、それはデザインは身体知を通じた実践的な試行錯誤によってのみ習得可能な創造的行為であるという原則に根ざしている。
デザインのコモディティ化は、デザインの「死」ではない。それは、デザインの本質がどこにあるのかを問い直す契機である。構築とデザインの関係性は逆転し、反復的構築とジャッジを通したデザイン昇華プロセスが重要性を増しているように、作ること自体のコストが下がった今、デザインの核心は「作る行為」から「判断する行為」へとシフトしている。コモディティ化は、この本質への回帰を加速させる力として機能しているのだ。