デザインツールの立ち位置が変わった
デジタルプロダクトデザインにおいて、デザインツールは長らく実装のマスターデータを作る場所だった。Figmaで全画面を並べ、コンポーネントを整理し、デザインスペックを書き出す。エンジニアはそれを見ながら実装する。デザインツールが起点であり、実装はそれを再現する。ここ数年、それが標準だった。
2026年現在、この構図が崩れ始めている。
Claude CodeやCursorのようなAIコーディングツールが実装の速度を劇的に上げた。先にコードで作ってしまう方が速い場面が増えた。自分の仕事を振り返っても、デザインツールを開く頻度は明らかに減っている。代わりに増えたのは、AIと対話しながらプロトタイプを組み上げ、必要なときだけデザインツールでビジュアルの修正イメージを作り、そのスクリーンショットをAIに渡す使い方だ。「こういう感じにして」と絵で指示を出す。
デザインツールは実装の設計図ではなくなりつつある。AIへの指示を視覚化するための道具として、立ち位置が変わってきた。
この変化はツールの使い方だけの話ではない。デザインのプロセスが再構成され、デザイナーに求められる能力も、デザインという行為の意味も、根底から揺らいでいる。
実装が先に来る世界
従来のデザインプロセスでは、設計が先にあり実装がその後に続く。要件を整理し、画面設計を行い、仕様書を書き、エンジニアに渡す。ウォーターフォール型であれアジャイルであれ、考えてから作るという基本の流れは変わらなかった。
AIコーディングツールの登場で、この順序が逆転する場面が出てきた。
ある業務アプリの改善案件での話。社内の企画から要件が上がってくる。従来なら、要件を読み込み、課題を整理し、改善案をFigmaで作り、提案書にまとめ、承認を得てから実装に入る。
AIを使ったプロセスはこうだった。まず要件の概要をもとに前提条件を整理する。整理した条件をもとに実装を頼む。出てきたプロトタイプを触ってみると、アンケート画面が一覧形式になっていた。1問1答の方がユーザー体験として良いと判断し、その場で変更を依頼した。配色が寂しかったので暖色系に変更し、フォントをユニバーサルデザイン対応のものに差し替えた。
プロトタイプを磨き上げた後、ここまでの会話をもとにUI/UXのポイントをまとめてとAIに依頼する。会話のログから設計判断が抽出され、構造化されて出てくる。それを資料に仕上げて提案書にした。この一連の流れを、他の仕事と並行しながら実稼働約2時間で完了した。
先にプロトタイプを作り、触りながら改善し、設計のポイントを逆算してまとめる。実装が設計書に先行する。
この逆算プロセスで得られる設計書の質は意外と高い。事前に書く設計書は、まだ作っていないものを言語化するため抽象的になりがちだ。「ユーザーにとって使いやすいUI」「直感的な操作性」。こういった言葉が並ぶ。しかし実物を作った後にまとめた設計書には、具体的な判断の積み重ねが残る。1問1答にしたのは認知負荷を下げるため。暖色系にしたのは高齢者向けアプリで安心感を優先したため。実際に判断した理由がそこにある。
プロダクト開発の粘土造形化
この変化を粘土造形化と呼んでいる。
モノづくりには二つのアプローチがある。設計を終えてから組み立てるやり方と、つくりながら形を探してゆくやり方。後者は手を動かすことから始まる発見的プロセスであり、完成形はあらかじめ決まっていない。
デジタルプロダクトは長らく前者で開発されてきた。しかしデジタル素材は本来、粘土のように可塑的だった。封じ込めていたのはツールの未成熟だ。AIの登場でツールがようやくその可塑性に追いついた。プロンプトひとつでUIの叩き台が生まれ、数分でバリエーションを比較検討し、方向修正できる。
かつてのFlash時代のクリエイターたちの仕事のやり方に似ている。Flash全盛期、優れたクリエイターは考えながら作り、作りながら考えていた。道具がプログラムであり、面白いものを作れるかどうかの勝負だった。AIの登場で、あの即興的な作り方が再び可能になった。
ただし粘土造形化は、設計が不要になったことを意味しない。ビジョンは手を動かす中で具体化し、修正され、時に根本から変わる。設計の重心が事前の仕様書からプロセス中の判断に移ったのだ。
設計はAIに、意匠は人間に
デザインという行為は、設計と意匠の二面から成り立っている。
設計とは機能や構造、使用方法などの論理的な側面を計画することで、画面遷移のフローや情報の階層構造、操作の一貫性がそれにあたる。意匠とは見た目や感覚的な側面を計画することで、色、形、余白のバランス、ブランドの世界観、ユーザーの感情への訴えかけだ。
AIコーディングツールが担えるようになったのは、主に設計の部分だ。画面構造、コンポーネントの配置、データの流れ、状態管理。論理で記述できるものは、コードで直接扱える。業務アプリやSaaSツールのように設計ロジックが主な論点になるプロダクトでは、AIが設計の大部分を実行できてしまう。デザインツールで全画面を設計する意味が薄れるのは、この領域だ。
意匠の部分は事情が異なる。感情に訴えるビジュアル表現、繊細なアニメーション、世界観の統一。これらは言語化が難しい。「もう少し寂しい感じで」「高級感はあるけど冷たくない色味で」。こういった指示は、テキストだけではAIに正確に伝わらない。ここにビジュアルツールでの作り込みが残る。マスターデータの制作ではなく、AIに視覚的なニュアンスを伝えるためのコンテキスト生成。それがデザインツールの新しい役割だ。
デザインはコンテキスト提供になった
コンテキストという言葉が、この変化の核をよく捉えている。
従来、デザインカンプはこれを実装してくれという指示書だった。今は、こういうビジュアルの方向性で仕上げてほしいというコンテキストの一形態になった。
コンテキストはデザインカンプだけに限らない。文字による説明、ブランドガイドライン、ユーザーリサーチの結果、実際にプロダクトを使った体験、競合のスクリーンショット。あらゆる形式の情報がAIへのインプットとして機能する。
AIに渡せるコンテキストには少なくとも4つの形態がある。
- テキスト: 要件定義、ブランドのトーン&ボイス、UXライティングのガイドライン。最も直接的で、AIが処理しやすい。
- ビジュアル: デザインカンプ、ムードボード、参考サイトのスクリーンショット。言語では伝えにくいニュアンスや空気感を補う。デザイナーが最も得意とする形態だ。
- 体験: 実際にプロダクトを使った感触やユーザーテストの観察結果。言語化してAIに伝えることで間接的に活用できる。
- 構造: デザインシステムの定義、コンポーネントの仕様、情報アーキテクチャの設計。再利用可能な形で整備すべきもの。
デザインシステムの存在感は、この文脈でむしろ増している。コードベースで開発するにしても、デザインツールで作るにしても、ブランドの一貫性を保つためのベースは必要だ。カラー、タイポグラフィ、コンポーネント。デザインシステムはAIが参照するコンテキストの中核であり、自前で持つべきものの筆頭だ。
デザインが最終成果物の一歩手前からAIとの対話の素材へ変わった。どれだけ多様で質の高いコンテキストを高速にAIに渡せるかが、アウトプットの質を左右する。
議論より先に作れ
この変化はチームの意思決定にも及ぶ。
AIを使えば、会議で1時間議論する間に10個のプロトタイプを作って触れる。失敗コストが限りなくゼロに近づいた今、とりあえず作ってみるが合理的な選択になった。
かつて実装は高コストだった。間違えたらやり直しに時間がかかる。だから事前にしっかり設計し、手戻りを減らす必要があった。この制約がなくなりつつある。リーン・スタートアップが提唱したBuild-Measure-Learnのループが、プロダクト単位ではなく画面単位、機能単位で回せるようになった。
3つのデザイン案しか検討できなかったところを、30のバリエーションを出してそこから選べる。A/Bテストも、2つではなく20のバリエーションで回せる。正解を事前に議論で絞り込むより、作って試して学ぶ方が速い。
創造的な仕事は5回以上の反復を経て質が上がるという経験則がある。AIを使えばその5回を数十分で回せる。反復速度の向上がAIの最も直接的な恩恵であり、それを活かすにはまず手を動かすことだ。
デザイナーに求められるものが変わった
プロセスの変化は、デザイナーの能力の変化と表裏一体だ。
道具が無限になった。AIを使えばイラストも動画も写真も自分で作れる。以前なら専門家の手を借りるしかなかった領域に、ひとりで踏み込めるようになった。道具がないから諦めるという思考パターンが消えた。
すると価値を持つのは、何がしたいかを自分の中で咀嚼し、どうすればいいかを把握している能力になる。デザインの理想がまず先にある。その理想を実現するために何が必要かを設計できる。必要なものをAIで自分で調達する。理想の解像度が、道具が無限にある世界で勝負を分ける。
同時に、AIが大量に生成したバリエーションから違和感を検知し、微細な調整を加えていく視覚的センスと判断力が改めて問われている。なんか違うと感じ取れる感覚。AIが出力した配色のズレに気づく目。レイアウトの微妙なバランスの崩れを見抜く経験。職域をUXやサービスデザインやビジネス戦略へと拡張してきたデザイナーが、ここにきてクラフトの原点、つまり視覚的な洗練度と判断力に立ち返ることを求められている。
AIを使いこなす人と使いこなせない人の生産性の差は、操作スキルではなくマネジメント能力で説明がつく。
AIへの指示は、部下やチームメンバーへの指示と構造が同じだ。何を、なぜ、どの水準で。これを明確に伝える必要がある。曖昧な指示からは曖昧なアウトプットしか返ってこない。方向を示さずにいい感じにやってと言えば、いい感じにはならない。
複数の開発組織で同じ現象が起きている。シニアなエンジニアやデザイナーの生産性はAIで大幅に上がり、ジュニアはそうでもない。シニアは完成形のイメージを持っていて、出力の良し悪しを判断できる。この評価能力がマネジメント能力そのものであり、人間の部下に対するレビューとまったく同じスキルだ。
ジュニアはAIの出力をそのまま受け入れがちだ。「AIが出してきたんで」と言って自分の判断を挟まない。部下が「先輩が言ったんで」と言って自分の頭で考えないのと同じ構造だ。
厄介なのは、この方向づけの能力が経験に強く依存していることだ。AIの使い方を教えるだけでは足りない。プロトタイプを触りながら「ここは違う」「もう少しこっちの方向で」と判断できるのは、似たようなものを何十回も作りフィードバックを受けてきた蓄積があるからだ。
だからAI活用の育成は、操作スキルの教育ではなく、判断経験を積ませることに帰着する。AIの出力を評価する機会を設計し、小さなスコープで指示、評価、フィードバックのサイクルを回す経験を重ねさせる。いきなりフルオーケストラを振らせるのではなく、まず2人のセッションから始める感覚に近い。
ツールは変わる。問いは変わらない
特定のツールがどうなるかは、結局のところ枝葉だ。
デザインツール対AIコーディングツールという対立で考えるのは筋が悪い。どちらも道具にすぎない。コードからデザインツールへ持ってくるプラグインも登場し、双方向の行き来が可能になったことで、どちらが正かという問い自体が意味を失いつつある。
デザイナーの仕事は常に変化してきた。大貫卓也のような広告デザイナーが設計面もクラフト面も極めて綿密に作り込んでいた時代があった。佐藤可士和の登場あたりからクラフト面がシンプルになり、代わりにストーリーの比重が増した。赤、青、黄とSMAPがあれば良い。そのくらいシンプルな造形でも、圧倒的なナラティブがあれば成立した。SNSの時代になり、デザイナー自身が発信することでシンボルにバフがかかるようになった。
AIの登場で、この流れはまた変わる。圧倒的なクラフト力を見せることが再び可能になる。ただしナラティブがなければ人には刺さらない。技術と物語の両方を融合できた人が、次の流れを作り出していく。
道具のポートフォリオは確実に変わっていく。デザインツールの使い方は変わり、新しいツールが現れ、古いツールが退場する。しかし問われているのは変わらず、何を作るか、なぜそれが良いのかを判断する力だ。道具が変わっても、良いものを作る人は良いものを作り続ける。
ただし、その人が手にする道具の組み合わせと、道具を手にする作法は、もう以前とは別物になっている。