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叩き台を作らせることの落とし穴
生成AIの使い方として「まず叩き台を作らせる」というアドバイスはどこにでも転がっている。記事でもセミナーでも、AI活用のファーストステップとして紹介されることが多い。一見すると合理的に見えるし、実際に速い。白紙からスタートするより、何かしらの形があったほうが取りかかりやすいのは確かだ。
でも、この使い方には見落としがちな問題がある。アンカリング効果だ。
人間は最初に提示された情報に、その後の判断を強く引っ張られる。たとえば「トルコの人口は3500万人より多いか?」と聞かれた後に具体的な人口を推定するのと、「1億人より多いか?」と聞かれた後に推定するのでは、答えが大きく違う(HBR’s 10 Must Reads on Decision-Making)。最初に示された数字がアンカーとなって、思考の出発点をずらしてしまう。
AIに叩き台を作らせると、まさにこれが起きる。AIが選んだ構成、AIが拾った論点、AIが使った表現がアンカーになる。人間の作業は「AIが出したものを眺めて、おかしいところを直す」に矮小化される。自分で考えを組み立てるのではなく、他人が作ったものを修正する仕事になる。出来上がるのは、自分の頭から出てきたものではなく、それっぽく整った情報の並びだ。
厄介なことに、AIの出力は一見して筋が通っている。見出しは整っていて、論点は網羅的で、文章は読みやすい。だから「まあこの方向でいいか」と受け入れてしまい、手を入れる量が減る。自分の思考がほとんど介在しないまま成果物ができてしまう。
順番を変えるだけで結果が変わる
ここで言いたいのは、AIを使うなということではない。使うタイミングを変えるだけでいい。
まず自分の言いたいことを書き出す。箇条書きでもキーワードの羅列でも、音声入力で一気に話し切るのでもいい。形式は問わない。自分の頭の中にあるものを先に全部出す。自分のなかにあるものが尽きるまで、AIには頼らない。
そのうえでAIに構造化を頼む。抜け漏れのチェックを頼む。表現の洗練を頼む。こうすれば、思考のアンカーは自分の中から出てきたものになる。AIはアンカーの設定者ではなく、アンカーを磨く協力者になる。
想像や理想は仮説の原料であり、結論ではなく出発点として扱うという考え方と同じ構造だ。自分のなかにある生の素材を出発点にすることで、結論がAIの出力に引きずられなくなる。原典の筆者も「自分の言いたいことが尽きるまで、一旦出力してしまう」ことを推奨している。この文章自体も95%は手で書いたという。
書くことは筋トレと同じである
しばらく自分で文章を書いていないと、この最初の一歩がかなりつらい。箇条書きすら出てこない。何を書いていいかわからないし、書き始めても言葉がちぐはぐで嫌になる。
でも、その苦しさは思考の筋トレをしている証拠だ。筋トレを他人にやってもらっても自分の筋肉はつかない。書くことを他人やAIに任せても、自分の思考力は鍛えられない。書くことで思考の筋力がつく。AIに初手を渡し続けると、この筋力が音を立てずに落ちていく。
ジャーナリングは問題解決とアイデア創出の強力なツールであるのも、書く行為そのものが思考を駆動するからだ。自分の言葉で書き出すことは、頭の中にあったものを取り出す行為であると同時に、書きながら考えの形が変わっていく創造の行為でもある。書いてみて初めて「自分はこう考えていたのか」と気づくことは珍しくない。この回路は、使わなければ錆びつく。
メモ作成時になるべく文脈を記すという実践にも通じる話だ。文脈を自分の言葉で書き残す行為そのものが、そのときの思考を定着させる。AIが書いた文脈は、後から読み返しても自分のものにはなりにくい。
AIをどこに噛ませるかは設計の問題
仕事の本質はコンテキストを調理することにあるのだとすれば、調理の初手をAIに渡すことは、自分でコンテキストを咀嚼する機会を手放すことだ。最初の段階でコンテキストと格闘することで得られる理解は、できあがった叩き台を読むだけでは手に入らない。
プロジェクトには「仮説立案・合意フェーズ」と「仮説検証・評価フェーズ」があり、仮説立案が最も労力がかかるのも同じ構造だ。労力のかかる最初のフェーズこそ自分の頭を使う場面であって、ここを飛ばして効率を得ようとすると仮説の質が下がる。AIが組み立てた仮説を出発点にすると、検証の途中で「これ、自分が本当に検証したかったことだっけ?」と迷子になる。
創造的な仕事に向き合い続けることで唯一無二の価値を生み出すことができるという話とも重なるが、思考そのものを外注するのか、思考の支援にAIを使うのか。この区別は意識しないと曖昧になる。AIの出力が上手すぎるから、つい自分の考えだと錯覚する。境界を見極める基準はシンプルで、最初の一手を自分が打ったかどうかだ。
AIを使うか使わないかという二項対立ではない。どの工程に噛ませるか。初手は自分で打って、その後にAIの力を借りる。この順番を守るだけで、成果物が自分の思考を経由したものに変わる。