設計と意匠という前提
デザインをするとは、意図を持って設計と意匠を行うということである。この定義はデザインの本質を捉える枠組みとして機能してきた。設計は機能や構造や使い方を計画すること。意匠は見た目や感覚を計画すること。この二つを意図的に統合する行為がデザインである、という整理だ。
しかしこの枠組みには、あまり意識されてこなかった暗黙の前提がある。デザインが最終成果物の「手前」に位置する中間的な行為だ、という仮定だ。
デザインが中間物として機能する領域
建築を考えてみる。建築家が描く図面や模型は、建物そのものではない。図面は設計の結晶であり、意匠の表現でもあるが、それ自体が人の住む場所にはならない。施工という別のプロセスを経て、初めて建物が現実になる。工業デザインも同様で、プロダクトデザイナーのスケッチやCADデータは製品そのものではなく、金型を起こし、素材を成形し、組み立てるという製造工程の入力データにすぎない。
こうした領域では、設計と意匠を分けて論じることに実際的な意味がある。構造的な設計と表層的な意匠は、別の専門性を持つ人間が担当する場合もあるし、工程として前後関係を持つ場合もある。デザインという行為は意匠と設計で人の行動に補助線を引くことであるという見方は、デザインが「何かの手前にある計画行為」であることを暗黙に前提としている。設計図の上で補助線を引き、それを実物に反映させるという構図だ。
最終成果物がデザインそのものである領域
ところが、すべてのデザインがこの構造に収まるわけではない。
漫画家がネームを描き、ペン入れし、トーンを貼る。その成果物は何かの設計図ではない。読者が手に取るもの、そのものだ。コマ割りは物語のペーシングという意味では設計的であり、画風や演出は意匠的であるが、この二つは分業できない。一人の作家の手の中で不可分に融合している。クリエイティブは一人で作った方が細かいところまで調整するコストが下がるため、クオリティが上がるという観察は、まさにこの不可分性を捉えている。
グラフィックデザインのプロセスも同じ構造を持つ。ポスターのレイアウトは情報設計であると同時に視覚表現でもある。タイポグラフィの選択は可読性の設計であると同時にトーンの意匠でもある。完成したポスターは何かの設計図ではなく、それ自体が最終的な成果物として街頭に貼り出される。
こうした領域では「設計と意匠に分けて考えよう」という分析フレーム自体が実態に合わない。創作行為の中で設計と意匠は溶け合っていて、後から切り分けることは知的には可能でも、実践においては意味をなさない。デザインやクリエイティブな行為は、その創発的性質ゆえに分業が困難であり、本質的に個人的プロセスであるのは、この不可分性の帰結だ。
デジタルプロダクトデザインの位置づけの変化
デジタルプロダクトデザインは長らく「中間物としてのデザイン」の側にあった。Figmaで作ったデザインファイルはあくまでも仕様書であり、エンジニアがコードに翻訳して初めてプロダクトになる。この構造では、設計と意匠を分けて論じることが可能であり、デジタルプロダクトデザインは要素・インタラクション・意匠の三層構造を持ち、反復的なプロセスを必要とするという分析は有効に機能してきた。
しかし、この構造が崩れつつある。デジタルプロダクト開発が粘土造形化しているのはツールが素材の可塑性に追いついたからであるで書いたように、ツールの進化がデザインと実装の距離を急速に縮めている。Design-to-codeツールはFigmaの画面をそのままコードに変換する。AIはプロンプトからUIを直接生成する。AIにより実装ベースで設計を逆算するプロセスが成立するとすれば、デザインファイルという中間物を経由する必然性が薄まっていく。構築とデザインの関係性は逆転し、反復的構築とジャッジを通したデザイン昇華プロセスが重要性を増している。
このとき、デジタルプロダクトデザインは漫画やグラフィックデザインの構造に近づいていく。デザインした画面がそのままプロダクトになるなら、デザインは中間物ではなく最終成果物だ。そして最終成果物としてのデザインにおいては、設計と意匠の分離は成り立たない。
枠組みの適用範囲を認識する
ここから見えてくるのは、「デザイン=設計+意匠」が普遍的な定義ではなく、デザインが中間物として機能する領域に限定された分析フレームだということだ。
デザインの領域は、この軸で二つに分かれる。
一つは「設計図型」のデザイン。建築、工業デザイン、従来のWebデザイン。デザインは何かを作るための設計図であり、その設計図は設計の層と意匠の層に分解できる。
もう一つは「作品型」のデザイン。漫画、グラフィックデザイン、イラストレーション。デザインの成果物がそのまま最終成果物であり、設計と意匠は不可分に融合している。
デジタルプロダクトデザインは今まさに、前者から後者へ移行しつつある。デザインファイルを作るという行為の本質は、中間生成物ではなく、試行錯誤のキャンバスを用意することという認識自体が、この移行を反映している。デザインファイルが「仕様書」から「キャンバス」に変わるということは、デザイン行為が中間物の作成から最終物の創作に変化するということだ。
この移行が進むとき、デジタルプロダクトデザイナーにおける設計と意匠の同時進行は「同時進行」を超えて、もはや分離不可能な一つの行為になる。コミュニケーションデザインとプロダクトデザインは異なる目的と手法を持つ専門領域であるという境界線も、根本から引き直す必要が出てくるだろう。