効率化と官僚化は、計測可能性に依拠する標準化という同一の運動を、現場と組織構造の二つの角度から呼んだ表現である。この運動は計測されない領域を「存在しないもの」として制度的に排除するため、人間性の中核を成す判断・関係・違和感を仕事の外側へ追いやる。AIの登場は、官僚的処理を人間から引き剥がす機会を提供する。人間は計測できない領域へ移動するべきだが、この移動は自動的には起きない。
効率化と官僚化は同じ運動の二つの呼び名である
効率化とは、対象を測れる単位に分解し、その単位で短縮・標準化していく営みを指す。所要時間、件数、エラー率、承認ステップ数、ミス回数。測定対象になる単位を持たないものは効率化の対象から外れる。
組織レベルで効率化が徹底されると、申請、承認、記録、責任分担、例外処理が制度として整備され、人間は規則とフローの執行者へと変質する。これが官僚化である。現場の合理化志向と、組織構造の官僚的展開は、計測と標準化を徹底する同一の運動の現れ方が異なるだけにすぎない。
同質性の高い組織は環境変化に弱いで論じたように、属人性の排除は組織を均質化し、処理能力を上げる一方で、変化への対応力を損なう。効率化が官僚化として完成するとき、組織は一定の処理速度と引き換えに、判断の幅を失う。
官僚化は計測できない人間性を制度的に排除する
官僚化された組織で評価対象となるのは、計測可能なものに限られる。返信速度、処理件数、作業時間、エラー率。一方で、相手の表情を読んで対応を変える、会議の空気から決定を先送りする、資料に書かれていない違和感を察知する、こうした営みは手順書に書きにくく、評価指標にも乗らない。
マクナマラの誤謬が示すのは、計測可能なものだけを評価対象にする思考様式が、計測できないものを「最初から存在しないもの」として扱う構造である。官僚化された組織は、この誤謬を制度として実装する。本人もいつしか「自分の仕事は測れる部分だけだ」と内面化し、判断・関係・違和感が仕事から脱落していることに気づかなくなる。
資本主義は金以外に価値がなくなるとみなす恐れがあり人間の豊かさを損なうで論じた構造と同型である。金で測れる価値だけが残る世界では金で測れない豊かさが消失するように、効率化された組織では測れる仕事だけが残り、測れない人間性が消えていく。
判断、感情、関係、違和感、迷い、雑談。これらは数値化を拒む。数値化を拒むがゆえに、官僚化の網からは漏れる。漏れたものから順に「仕事ではないもの」として扱われ、本人もそれを内面化していく。これが「効率化が人間性を損なう」と感じる現象の機序である。
規則化された処理はAIに委譲できる
官僚的処理の構成要素、すなわち定型応答、文書整備、議事録要約、承認情報の集約、過去資料の検索は、規則化された処理の典型である。規則化された処理はAIの得意領域そのものである。
組織での仕事の基本で論じたように、組織労働の中心は、相手が理解できる材料を整え、決定者が決定できる状態を作ることにある。この作業の大部分を、これまで人間が文書と手続きで担ってきた。しかし、規則的判断が機械で可能になった以上、人間が代行し続ける必然性は消える。
仕事の本質はコンテキストを調理することにあるを踏まえれば、コンテキストの調理それ自体は人間に残るが、調理に至る前後の規則的処理は分離可能である。AIへの委譲対象は後者であって前者ではない。両者を混同し、コンテキスト調理までAIに渡そうとすれば、判断の質が崩れる。逆に、規則的処理まで人間が抱え続ければ、調理に向ける時間が奪われる。
産業革命で肉体労働の一部が機械へ移行したのと同型の構造変化が、知的労働の規則化された部分で生じている。違いは、今回移行する対象が「規則どおりに判断する仕事」である点にある。
人間は計測されない領域に向かう
AIへ委譲できないのは、計測を拒む領域である。判断、関係、違和感の言語化、美意識、雑談、散歩中の思考、何もしない時間、創造の前段にある迷い。これらは数値化されないがゆえに効率化の対象から外れ、外れたがゆえにAIへの委譲も成立しない。
想像や理想は仮説の原料であり、結論ではなく出発点として扱うで論じたように、創造の起点となる想像は計測不能な領域から立ち上がる。アートは文脈を切り取るものであるが示すように、文脈の切り取りは規則化を拒む判断である。
二項対立は意思決定の圧縮であり、背後にある前提の違いを掘り下げることが生産的な議論の鍵となるで論じた、議論の前提を問い直す作業も、議事録の自動要約からは脱落する。要約は結論を拾うが、結論に至る過程の違和感や逡巡を保持しない。捨てられた違和感こそ、次の判断の原料である。
データと感性は二者択一ではなく相互に磨き合う関係にあるで論じた関係性は、AI時代において一層明瞭になる。数値化された情報はAIが扱い、数値化される前の質感は人間が引き受ける。両者は対立せず、役割分担として接続する。
解釈無限な物に対してのアプローチを常日頃行ってるからこそ、デザイナーは想像力が高いが示すように、解釈の余地が大きい対象を扱う訓練を積んだ職能は、計測不能な領域での判断を担う適性を持つ。AI時代における人間の役割は、こうした訓練が示してきた領域に再収斂する。
空いた時間は自動的には守られない
ここに重要な含意がある。AIへの委譲によって生じた時間は、放置すれば次の効率化対象として組織の処理量で埋められる。歴史的に見て、技術が労働を代替したとき、空いた時間は新たな作業で埋まってきた。洗濯機が家事時間を減らしたとき共働きが標準化し、メールが通信を高速化したとき返信速度が評価軸となり、スマートフォンが移動中の連絡を可能にしたとき24時間応答が暗黙の期待となった。AIに官僚的処理を渡せば、議事録が一瞬で作れる分だけ会議数が増え、メールの下書きが一瞬でできる分だけ返信速度の期待が上がり、資料の案がすぐ出る分だけ資料の本数が増える。
効果的な仕事の進め方は環境整備とタイムマネジメントが鍵であるで論じた原則は、AI時代に意味を強める。AIへ渡す対象を決める前に、人間に残す時間を予定として確保する。順序を逆にすると、AIへの委譲は人間性の回復ではなく官僚化の加速をもたらす。
守るべきものを先に言葉にし、カレンダー上の予定として実装する。守るものが定まってから、残余を効率化と委譲の対象にする。この順序が、AIを官僚化からの解放装置として機能させる条件である。