デザイン組織を率いるようになって、戦略を求められる場面が増えた。デザインの方針、組織の方向性、プロダクトの未来像。求められるたびに分析して、フレームワークに当てはめて、スライドにまとめる。何度かそれを繰り返すうちに、自分がやっている作業の正体がわかってきた。
これは未来予知だ。
大げさに聞こえるかもしれないが、比喩ではなく本気でそう思っている。戦略の定義を辿ると、長期的・大局的視野に基づいて組織行動を立案する、とある。長期的な視野とは、まだ起きていない未来に対する見通しのことだ。つまり戦略を描くとは、不確実な未来に対して「こうなるだろう」「だからこう動く」という像を描くこと。まさに未来予知だ。
このことに気づいてから、戦略に対する向き合い方がだいぶ変わった。何が変わって、何がまだできていないのか、書いてみる。
目標と戦略を混ぜていた頃
良い戦略とは具体的な実行計画と問題解決の道筋を示すものであり、単なる目標設定や願望の羅列とは根本的に異なる。これを読んだとき、過去の自分に刺さった。
デザインの品質を上げる。組織のプレゼンスを高める。こういうことを書いて、戦略だと思っていた時期がある。でもこれは目標であって戦略ではない。「こうなりたい」という願望を並べているだけで、世界がどう変わるかの読みがない。未来予知が抜けている。
戦略と目標の違いは、未来予知の有無だ。目標を立てるのに未来予知は要らない。「こうなりたい」と思えばいい。戦略には「こうなるだろう」という予測が要る。AIがデザインの仕事をこう変えるだろう、だからデザイナーの役割はこうシフトする、だからこういう組織にしておく。この「だから」の連鎖が戦略を戦略たらしめている。
ルメルトの言う悪い戦略の正体がこれだった。願望だけあって、未来の読みがない。だから行動指針が出てこない。耳が痛い。
渦中から渦の行方を読む
未来を予知する、と口で言うのは簡単だが、やろうとすると途方に暮れる。
歴史の中にいる人間は未来予測が最も困難である。サピエンス全史が指摘するように、渦中にいる人間は自分の時代のコンテキストから離れて物事を見ることができない。認知バイアスが視野を歪め、目の前の変化に過剰反応する一方で、大きな構造変化は見落とす。
自分もこれをやっている自覚がある。AIの新しいモデルが出るたびに振り回されて、足元の組織の構造的な課題を後回しにしたり。逆に、目の前の案件に埋没して、半年後の姿を考える時間を確保できなかったり。渦の中にいながら渦の行方を読む。これが戦略の根本的な難しさだと思う。
Cynefinフレームワークでいえば、戦略が本当に必要なのは因果関係が見えない複雑系の領域だ。明白な領域なら分析すれば答えが出る。でもデザイン組織の未来やプロダクトの方向性は、試行錯誤しないとわからないことだらけで、それでも方向を定めなければならない。
コンテキストを集めるしかない
じゃあ未来予知は勘の問題なのかというと、そうでもない。
ゴール設定の本質は未来予知であり、コンテキスト収集による想像の解像度向上がその鍵となる。未来が見えないとき、それはコンテキストが足りていないサインだ。ユーザーの行動、市場の動向、技術のトレンド、チームの状態、過去の成功と失敗。これらが揃うほど、未来の像は鮮明になる。
低解像度の画像を想像してほしい。何が映っているかわからない。でもピクセルを増やしていくと、ある瞬間に「あ、これは人の顔だ」と認識できる。コンテキスト収集も同じ構造を持っている。断片しかないとき未来はノイズにしか見えないが、一定量を超えると輪郭が浮かび上がる。
将来を予測し、上手に対処する能力は、変化を招く因果関係を理解することと、その因果関係が過去にどのような変化をもたらしたかを学習することに依存している。レイ・ダリオのこの言葉が、戦略を描く仕事の核心を突いている。因果関係を理解して、過去のパターンを学ぶ。この2つで予知の精度が決まる。
これは頭ではわかっている。わかっているが、コンテキスト収集に十分な時間を割けているかというと、正直あやしい。スライドの体裁を整える時間より、現場を歩いて話を聞く時間のほうがずっと価値がある。なのに締め切りが近づくとつい逆になる。戦略家の仕事の大半はコンテキスト収集だという確信はある。ただ、日常の中でそれを実践し続けるのは別の話だ。
計画と創発のあいだ
戦略計画学派と創発戦略学派についてという古典的な対立がある。計画学派は事前に未来を読み切ってから動く。創発学派はやりながら学び、戦略は後からできると考える。
未来予知という観点で見ると、この対立は同じことの裏表だ。どちらも未来予知をしている。タイミングが違うだけ。計画学派は一括で、創発学派は逐次的に予知する。
戦略策定におけるグランドデザインと事実ベースの柔軟性が示すように、片方だけでは足りない。日本軍の失敗が教えるのは、現場の事実への柔軟さだけでは大局を見失うということ。逆に、グランドデザインだけでは変化に対応できない。
自分の場合、創発寄りに偏りがちだ。目の前の状況に反応して動くのは得意だが、半年先、1年先の大きな絵を描いてから逆算するのが弱い。大きな未来予知で方向を定め、小さな未来予知で軌道を修正する。両方やるのが理想だとわかっていても、大きいほうがおろそかになる。ここは明確な課題。
眼力と決断力
クラウゼヴィッツは、不確実な状況を乗り切るために必要な二つの特性として眼力と決断力を挙げた。眼力は、暗闇の中でも内なる光を灯し続けて真実を追究する知性。決断力は、かすかな光が照らす方向へ進む勇気。
この2つの組み合わせが、戦略を描く仕事の怖さをよく表している。
未来は完全には見えない。見えるのはかすかな光だ。その不完全な予知に基づいて組織を動かす決断をしなければならない。100%の確信を待っていたら永遠に決められない。かといって根拠なく決めるのは無謀だ。
自分が苦手なのは、見えてからも決断を先延ばしにしてしまうところだ。コンテキストを集めて解像度が上がっても、もう少し情報があればと思ってしまう。眼力のほうはコンテキスト収集で多少は鍛えられてきた感覚があるが、決断力がまだ足りない。見えたなら踏み出す。ここの筋力がもっと要る。
わかったこと、まだできていないこと
戦略を未来予知として捉え直してから、いくつか変わったことがある。
コンテキスト収集を意識的にやるようになった。1on1で現場の話を聞くとき、チームの困りごとだけでなく、業界の変化や技術のトレンドについても話を振る。過去の事例を読む時間を予定に入れるようにした。何がわかっていて何がわかっていないかを書き出す癖もついてきた。わからないことが可視化されると、次に何を調べればいいかが見えてくる。
一方で、まだできていないことのほうが多い。
大きな未来予知に時間を割けていない。半年後、1年後のデザイン組織のあるべき姿を、腰を据えて考える時間が足りない。日常の判断に追われて、大局の方向づけが後手に回る。
見えないことを正直に認めるのもまだ下手だ。ゴールが見えないとき、気合いで決めてしまいたくなる。でもそれはコンテキスト不足のサインなのだから、本当はまだ見えていないと言って情報収集を続けるのが正しい。頭ではわかっていても、早く決めなきゃというプレッシャーに負ける。
決断の速度も課題だ。十分な情報が集まったあとも、もう少しもう少しと先延ばしにする癖がある。不完全な予知を引き受けて踏み出す勇気が足りない。
戦略を描く仕事は、未来予知の仕事だ。フレームワークの使い方でもスライドの作り方でもなく、まだ見えない未来に対して像を結び、その像に基づいて組織を動かすこと。
未来予知は超能力ではない。コンテキストを集め、因果関係を掴み、パターンを学び、仮説を試す。地道な積み重ねだ。そして最後に、不完全でも踏み出す。
暗闇の中で光を灯し続ける眼力と、その光の方向へ踏み出す決断力。この2つを磨くのが戦略の仕事の中心にある。まだ磨いている途中だけれど。