組織のスループットという視点
ある人の生産性が5倍になったとする。本人のアウトプットは確かに5倍だ。ではその組織のリリース頻度は5倍になっただろうか。事業成果は5倍になっただろうか。ほとんどの場合、答えはノーだ。
エリヤフ・ゴールドラットは「ザ・ゴール」で制約理論(TOC)を提唱した。工場の生産性を上げるには、全工程を一律に効率化するのではなく、ボトルネックとなっている工程を特定して集中的に改善しなければならない。ボトルネック以外をいくら高速化しても、全体のスループットは変わらない。仕掛品が溜まるだけだ。
AI活用においてまさに同じ現象が起きている。
シニアだけが速くなる構造
2026年時点の現実として、AIを使って劇的に生産性が上がっているのはシニア人材に偏っている。ハイスペックなエンジニアがClaude CodeやDevinを使いこなして、通常3ヶ月かかる開発を1ヶ月で仕上げるケースが実際にある。デザイナーも同じで、1つの案件に集中していたところが5つ並行で回せるようになった、という実感を語る人がいる。
一方でジュニア層はAIを使ってはいるものの、出力されたコードのレビュー品質が追いつかない。「AIが出してきたんで」と言って低品質なコードを提出してくる。これは特定の会社に限った話ではない。複数の開発組織で同じ現象が報告されている。
つまりAI活用能力とマネジメント能力は本質的に同じスキルセットであるために、経験の浅い人には恩恵が届きにくい。結果として、組織の中に「5倍速い人」と「変わらない人」が混在する。全体のスループットは、遅い方に引きずられる。これは典型的なボトルネック構造だ。
測るべき指標を間違えない
個人の生産性指標はわかりやすい。コード行数、デザイン画面数、調査レポートの本数。しかしこれらは組織の生産性を代理しない。マクナマラの誤謬が教えるように、測りやすい指標に頼ると本質を見失う。ベトナム戦争で敵の死者数を数え続けたマクナマラは、その数字が戦争の勝敗と何の関係もないことに最後まで気づけなかった。
会社としての生産性は最終的に事業成果で測られる。リリース頻度、売上への貢献、顧客獲得の速度。企画側がディープリサーチで調査が楽になったとして、それで良い企画の本数が増えたのか。「なるほど、理解が深まりました」で終わっていないか。分析業務が効率化されたとして、その知見が意思決定を変えたのか。
この問いを立てずにAI導入効果を語ると、「みんな使ってます」「便利になりました」で止まる。効率化の余剰リソースは放置すると不要な効率化に吸い込まれる以上、意図的に事業成果へ接続しなければ真の生産性向上にはならない。
ボトルネックを特定する
ではAI時代のボトルネックはどこか。答えはケースバイケースだが、典型的なパターンがある。
レビューと意思決定。AIでコードやクリエイティブの生産速度が上がっても、それを評価し承認するプロセスが従来のままならそこで詰まる。プルリクエストのレビュー待ち行列が伸び、企画の承認フローが変わらず、結局リリースまでの時間は大して短縮されない。生産側だけが速くなり、評価側が追いつかない。これが今もっとも起きやすいボトルネックだ。
もう一つは「何を作るか」の決定。プロジェクトには「仮説立案・合意フェーズ」と「仮説検証・評価フェーズ」があり、仮説立案が最も労力がかかるのだから、作る速度が上がっても何を作るべきかの判断が遅ければ意味がない。AIは情報を整理し、それらしい成功の道筋を描くことはできる。しかし整理された情報と実行可能な判断の間には距離がある。
組織設計として取り組む課題
制約理論の処方箋は明快だ。ボトルネックを特定し、その工程に合わせて他の工程のペースを調整し、ボトルネック自体を改善する。AI時代においてこれを実践するなら、まず「個人のアウトプットが増えた」ことと「事業が前に進んだ」ことを分離して把握する必要がある。
組織設計の適切性がプロダクト品質を直接左右するのだから、これは個人の効率化ではなく組織設計の問題として捉えるべきだ。AI活用を個人の武器として渡すだけでは足りない。評価プロセス、承認フロー、チーム構成、人材配置。これら組織の構造そのものがAI時代のスループットに合わせて更新される必要がある。
AI活用は「第1フェーズ: みんな使うようになった」をクリアした段階にある。次は「使っている」から「事業成果に繋がる」への転換だ。その鍵はツールの選定でも個人のスキルでもなく、アウトプットの階層性を理解し、活用することが効果的な仕事の進め方の基盤となるという視点で組織のスループットを直視することにある。