効率化が効率化を呼ぶループ
AIで業務が効率化されて工数に余裕ができる。すると何が起きるか。多くの場合、その余裕は新しい価値を生む活動ではなく、「これまで手が回っていなかった効率化」に吸い込まれていく。
エンジニアなら手が空いたらリファクタリングを始める。コードの品質改善は確かに大事だが、事業としての優先度が高いかどうかは別の話だ。企画の人なら、さらに調査を深くやり始める。「理解が深まりました」は気持ちがいいが、その理解が具体的な施策や企画に変換されなければ、ただの自己満足で終わる。
これはAIに限った現象ではない。業務効率化がもたらす余剰リソースの配分は、あらゆる組織で繰り返されてきた問題だ。パーキンソンの法則が教えるように、仕事は与えられた時間を使い切るように膨張する。効率化で時間が生まれても、その時間は黙っていると「もっと丁寧にやる」方向に吸収されてしまう。
なぜ人は新しいことより効率化を選ぶのか
余剰リソースが効率化に戻る理由は心理的にも構造的にも説明がつく。
効率化は成果が見えやすい。「処理時間が30%短縮されました」は数字で示せる。一方で「新しい事業を探索しています」は進捗が不透明で、成果が出るかもわからない。組織として評価しやすいのは前者だ。
また、効率化は既存の延長線上にある。新しいスキルも新しい判断基準も要らない。今やっていることをもっとうまくやるだけだ。戦略は適度であるべきであり、過剰な計画は失敗を招くが、そもそも戦略を考えること自体が不確実性と向き合う行為であり、精神的な負荷が高い。楽な方に流れるのは人間として自然だ。
さらにコブラ効果のような逆効果も起きうる。効率化のKPIを設定すると、そのKPIを達成すること自体が目的化し、本来の事業目的から乖離した効率化が推進される。
意図的な配分がなければ流れは変わらない
この問題への処方箋は、余剰リソースの行き先を意図的に設計することに尽きる。放っておけば流れは変わらない。
具体的には、効率化によって生まれた時間やリソースを「何に使うか」をあらかじめ決めておく。分析業務が効率化されたなら、浮いた工数を「新しい事業機会の探索」に明示的にアサインする。CS対応の件数が減ったなら、その余剰をプロダクト改善のための定性リサーチに振り向ける。
真の生産性は個人のアウトプット量ではなく組織のスループットで測るべきであるのだから、効率化それ自体はゴールではなく手段にすぎない。効率化で生まれたリソースが事業の前進に使われて初めて、その効率化は意味を持つ。
創造的な仕事に向き合い続けることで唯一無二の価値を生み出すことができるとするなら、AI時代に人間がやるべきは既存業務の最適化ではなく、新しい価値の創出だ。効率化はそのための前提条件にすぎない。その前提条件をゴールと取り違えてはいけない。
「やらなくてもよかったこと」を見極める力
もう一つ重要なのは、そもそも「やらなくてもよかった効率化」を識別する力だ。手が空いたときに「何をやるか」ではなく「何をやらないか」を決められるかどうか。これは効果的な探索には全方位的探索から仮説検証型探索への段階的移行が不可欠であるという探索の原則にも通じる。
AIが使える時代に、人間に求められるのは「もっとやる」ではなく「何をやるか決める」能力だ。そしてこの能力は、まさにAI活用能力とマネジメント能力は本質的に同じスキルセットであるという構造の延長にある。